7004円 グラフィティキャンバス絵画壁アート写真あなたの心に従ってください現代グラフィティアート装飾的なリビングルームの写真装飾70x90cm(28x35inch)内枠 ホーム&キッチン インテリア アートフレーム・ポスター 7004円 グラフィティキャンバス絵画壁アート写真あなたの心に従ってください現代グラフィティアート装飾的なリビングルームの写真装飾70x90cm(28x35inch)内枠 ホーム&キッチン インテリア アートフレーム・ポスター ホーム&キッチン , インテリア , アートフレーム・ポスター,1489kpc.com,グラフィティキャンバス絵画壁アート写真あなたの心に従ってください現代グラフィティアート装飾的なリビングルームの写真装飾70x90cm(28x35inch)内枠,7004円,/antiperistaltic1455990.html ホーム&キッチン , インテリア , アートフレーム・ポスター,1489kpc.com,グラフィティキャンバス絵画壁アート写真あなたの心に従ってください現代グラフィティアート装飾的なリビングルームの写真装飾70x90cm(28x35inch)内枠,7004円,/antiperistaltic1455990.html グラフィティキャンバス絵画壁アート写真あなたの心に従ってください現代グラフィティアート装飾的なリビングルームの写真装飾70x90cm 28x35inch セール開催中最短即日発送 内枠 グラフィティキャンバス絵画壁アート写真あなたの心に従ってください現代グラフィティアート装飾的なリビングルームの写真装飾70x90cm 28x35inch セール開催中最短即日発送 内枠

グラフィティキャンバス絵画壁アート写真あなたの心に従ってください現代グラフィティアート装飾的なリビングルームの写真装飾70x90cm 28x35inch セール開催中最短即日発送 高級 内枠

グラフィティキャンバス絵画壁アート写真あなたの心に従ってください現代グラフィティアート装飾的なリビングルームの写真装飾70x90cm(28x35inch)内枠

7004円

グラフィティキャンバス絵画壁アート写真あなたの心に従ってください現代グラフィティアート装飾的なリビングルームの写真装飾70x90cm(28x35inch)内枠

商品の説明

色名:内枠  |  サイズ名:70x90cm(28x35inch)

キャンバスの素材は軽くて丈夫です。この絵はHD しゃしんがキャンバスで印刷されて木製ストレッチャーバーで広げる完全品です。額縁には壁掛け用の引掛け金具が付けられているので、軽くて取り付けやすいです。

提示:
美しいパッケージ: 各キャンバスパネルは、完璧な状態で手に届くように、慎重に取り扱い、梱包します。
よく組み立てられた: 木枠で変形しにくい。 手作りのスプライスウッドにより、フレームは時間の経過とともにまっすぐな形状を保つことができます。
後ろのフック: 帆布の各パネルの木製のバーに金属製のフックが付いた額入りの写真で、吊るす準備ができています。

表示の写真は、例示目的のみに注意してください。
彼らは実際の表示部屋でしたものと印刷セットの実際のサイズを表していません。
彼らはちょうどこのキャンバス アート プリントが部屋でどのようかを自覚するための考え方としては。あなたの壁を正しく測定して適切なサイズを選ぶことを確認してください。

の壁の装飾
良い壁の絵は、あなたの部屋のスタイルを決定します。 スタイリッシュな帆布が部屋にぶら下がっています、あなたのスペースの新しい外観です。手頃な値 段でインテリアが出来るのが大きな魅力です。接客室、会議室、事務所にも最適! 新築祝いや、出産祝いや、開店祝いや、日ごろの感謝の気持ちをこめてなど、ギフトとしても喜ばれています。

自宅はもちろん、モデルルーム、オフィス、ホテルにかざるとモダンで洗練された雰囲気を演出できます。小さな絵でさえ、あなたの人生に温かみを与えます。個性を追求するあなたのために、あなたはあなたのユニークな個性を示すためにユニークなアートワークを選ぶことができます。

自宅のリビングルームやダイニングルーム、オフィス、ホテルにバー、パティオ、喫茶店やお店などにぴったりです。シンプルな場所でも、買いやすい値段の絵を飾るだけで部屋が明るくて鮮やかに見えます。ご自宅の壁を一瞬で美しくできます。

グラフィティキャンバス絵画壁アート写真あなたの心に従ってください現代グラフィティアート装飾的なリビングルームの写真装飾70x90cm(28x35inch)内枠

竹林の Twitter 新しいウインドウで開きます。

照明について

 日常生活の電気の消費
 私たちが日頃つかっている、家電製品は私の子どものころや、10年前20年前に比べてその消費電力はかなり少なくなっている。それは消費者のエコ意識を家電メーカが応えてエコ製品を作っているからだ。その反面家電製品に人工知能が搭載され、どんどん高機能になり、今までにない電気の消費を必要としている。また今までになかった、新しい電気製品が開発されて市場にでまわり、あらたな電力の消費が必要になってきている。家の中を見回しても、私が子供のころや10年前にはなかった、さまざま新しい電気器具が置かれている。

 日常生活の照明をみると、LEDライトの誕生により、その電力の消費量は格段に少なくなってなっているが、照明の明るさは昔と比べてどんどん明るくなり、照明器具の数も増えている。
 私が小さい頃の電信柱に取り付けられいる防犯灯は裸電球だったが、それが蛍光灯になり今はLEDになっていき、昔と比べて消費電力は少なくなり格段に明るくなり、町はどんどんと明るくなっている。町の防犯灯などが明るくなるはよいことです。私が子どもの頃の防犯灯といえば、電信柱のあたりだを照らしていて、文字通り灯台下暗しだった。それが蛍光灯になり電信柱のもとだけでなく、周りも明るく照らすようになり、LEDライトになりかなり広範囲を明るく照らし防犯には役立っている。

 町の照明は灯台もと暗しではないが、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、一時省エネで街の明かりが落とされても、すぐのもとの明るさに戻ってしまっている。
 私の大学生のころに、オイルショックがあり石油の輸入が滞りそうになり、地下街の照明の2本ついている蛍光管が一本外されたり、一つ置きに灯され照明が落とされていた。それが現在はオイルショックのころよりも地下街は明るくなっている。阪神淡路大震災で神戸市は大きな被害を受け、復興債発行のためなどで市の財政は窮地になり、市庁舎などの廊下や執務室の照明は半分ほどに落とされて、25年以上経つ今もそれが続いて。しかし市庁舎の近くのコンビニは真夜中も、昼間より明るく店内が照らされ、昼間でもコンビニは夜と同じだけの照明器具を使って照らしている。神戸市の本庁などでは、昼間は窓際の明かりが落とされているのと比べると対照的だ。神戸は本庁に限らず、出先機関の庁舎や学校でも同様に節電を呼びかけられ、生徒が勉強で過ごす教室はともかく、職員室では照明が落とされている。しかし別段に照明を落としたからと、業務に支障をきたすことはない。つまり、私たちの巷の生活では、必要以上に照明を照らし明るくして過ごしているということになる。
 その象徴が先に述べた、コンビニの照明といえるだろう。不夜城の都会でもコンビの所在が浮き彫りになるように明るくする必要はあるのだろうか。過当なコンビニ競争だから少しで目に付くように、誘蛾灯の明かりのような照明が必要だという論理に筋がまかり通ってよいだろうか。深夜の工事現場では、運動会で使う大玉のような白いボールで、作業現場を明るく照らすのは作業の安全確保のために必要だ。しかしそうでないところは、神戸市本庁舎で窓際の照明を落とすように、もっと節電に努めるべきではないだろうか。

 また、照明を明るくすることは、商業施設や市街地に限らず家庭のなかでも、過剰な照明がなされていないだろうか。今は、照明のLED化で家庭での照明の照度が上がっている。しかし、日常の明るさが24時間明るくなることは、人間の生活のリズムにも悪い影響を与える。スマホを使ってのブルーライトは覚醒作用があり、寝る前にブルーライトを浴びるのはよくないと言われている。つまり、床に入る直前まで明るい照明の下で過すことは、睡眠の質にも影響があるといわれえいる。つまり、家でも夜のLEDライトは、白光ではなく黄色の設定にして照度も少し落とす。特に寝床に入る。1時間から30分前にはそう設定すべきだろうと私は考えそうしている。わたしは燭台や行燈での生活はしらないが、アルコールランプなどで揺らぎのある明るさや、タングステン電空の燭光の下で過したり勉強をしたがそれも懐かしく感じるものだ。
関連記事

電気の発電について

 私たち人間に限らずあらゆる生物体は、何らかのエネルギーによって、その生命を維持している。
この地球に住み現代の文化的な生活を過ごすために、日常的に何らかの電気エネルギーを使わずに過ごすことはできない。
 先進国の現代都会に限らず田舎に限らず、また発展途上国の電柱のない辺鄙な僻地でも、アフリカの田舎でもスマートフォンなど、何らかの電気エネルギーで動く装置を使っている。この緑の地球で毎日膨大の量の電気が消費されそのため、莫大な量の発電されている。

 それが石炭や石油、天然ガスなどの化石燃料を燃やし、水を沸騰させ蒸気タービンを回し発電さている。原子力発電も原理は同じで、水を沸騰させ蒸気タービンで発電されている。
水力発電は水の落下により発電タービンを回している。風力発電は、風の力で風車を回し発電タービンが回され発電している。
現在電気を発電するほとんどは、発電タービンを回して発電されている。このほか、現在は太陽光発電パネルなど、化学反応を使って発電する方法が使われるようになってきている。

水を沸騰させ蒸気の力で発電タービンを回す、風力で発電タービンを直接回す方法は、転換のときのロスがあるので、化学反応などで直接発電する方法は、転換時ロスはなく効率がよいかも知れない。しかし、化学反応発電をするのは、化石燃料を燃やし温室効果ガスやPM2.5が排出されるよりも、本当に人間生活と自然環境の調和・共存が出来る技術なのだろうか。
たとえば太陽光発電パネルを設置するために、林などを切り開きその地の保水性や排水性などの環境を破壊すると、周囲の自然にどのような影響をあたえるのか。太陽光発電パネルの耐用年数は化石燃料のプラントの耐用年数と比べてどちらが償却的に有利なのだろうか。燃料を燃やしての発電よりはるかに耐用年数は短いともきく。太陽パネルのを作るための資材の資材の鉱物などの採掘のためどれだけ自然を破壊するのか。また鉄鉱石や希少金属を精練するため、どれだけ環境を汚染するのか。精練した金属を加工して部品にするためにどれだけの電気や燃料を使うのか。工場からでる排出物は人々がすむ影響はどのようなものか。
これらを考えると、今注目されている最先端の再生可能発電は、本当にエコロジーだろうか。これからの地球のために一番重要なのは、電気エネルギーを出来るだけ使わないようにすることではないだろうか。
関連記事

ウナギとコバンザメのお話

 アメリカの先住民の「ウナギとコバンザメ」は昔からある話だそうだ。いまの流布されているこの話を聞くと、アメリカの先住民がコロンブスと出会った以降に作られた話か、それ以前からある話を、今の私たちにはもわかりやすいように、ギャンブルの喩え話にで作られものだろうか。「ウナギとコバンザメ」の話しの出だしの、仕事をして月給をもらうところなどがあるが、そのような経済観念はコロンブスなど西洋の概念ではないだろうか。つまり、現代の私たちが、理解しやすいように編集されているのだろう。ウナギは善良なふつうの生活をしていたが、人の欲についてウナギがギャンブルにのめり込んでいくことを通して私たちに問うている。
 しかし、この話は博打に対しての戒めだけで読み解くのはもったいない。コロナ禍の以前から、成長の限界が問われ2030年の分岐点になると警鐘が鳴らされている。この現代の経済成長と人間の欲望についての課題を考える上で、「ウナギとコバンザメ」は、ユーモラスな教訓のお話として読むこともでる。

 この話、長くなるがあらすじをかいつまんで書いてみる。
 アメリカ カリフォルニア州北部の先住民族の民話の『ウナギとコバンザメ』あるいは『骨抜きにされて』というお話です。

 「今日は給料日だ」と仕事出かける前に、ウナギが妻に言った。妻は「そうだったわね、ひと月ってあっといまね」と言い、朝食の後片づけを始め夫を見送った。ウナギは、仕事からの帰りに妻と子どもに、土産でも買って帰るため開いている店を探そうとした。そのとき森のなかから、動物たちの喝采が聞こえてきた。
 ウナギはその方向に行ってみると、森の奥の広場で焚き火囲んでコョーテが動物を相手に、慣れた手つきでカードを繰って博打をしていた。盛り上がっているのを見たウナギはギャンブルに参加した。最初はちびちび賭けていたのだが、気がつくと掛け金は今日もらったばかりの給料にも手を着けていた、しかしウナギは負け続ける。それでも「今度こそ」と家族のことも忘れて勝負の世界にのめり込んででいった。
 動物たは賭博に見切りをつけるなかで、最後まで残ったのは、ツキのないウナギと絶好調のコバンザメだけだった。もらった給料にも手をつけても負け賭博を続けた有り金全部つぎ込む大勝負にでたので、周りの野次馬の動物たちは、興奮のあまり踊り始め大騒ぎをした。ウナギの勝利に終着する姿は病的にも見えたが、必死の祈りのかいもなく勝負にも負けてしまった。
 それでもウナギはあきらめず。「まだ、私には賭けるものがある」。あっけにとられたコバンザメはウナギを諭すように「いま最後のお金を賭けたばかりじゃありませんか、あなたはもう賭けるお金がないでしょう。来月の給料までどうやって暮らすのですか」
 しかし、ウナギは、そんな声に耳を傾けすに。意を決した声で、「お金はないけれども、私にはとても大事なものがある、とても美しく、世界に一つしかない、けけがえのない妻と子どをかけます」
 家族まで賭けると食い下がるウナギに、周りの動物たちは驚愕した。しかし、ウナギの懸命な姿勢は見物の動物たちに共感を呼び、大きな拍手がわき起こった。ウナギにとっては命懸けだが、見物している側にとって、これほど悲痛にして興奮させるものはない。
 ウナギは必死で神々に訴え、その姿に森の動物たちには独特な喧噪に酔いしれ、動物たちの踊りに輪はさらに広がっていった。
 コバンザメの瞳に同情が走ったが、周りの雰囲気が興奮しているので勝負は勝負だった。ウナギの必死の祈りにも関わらず、カードはコバンザメに及ばなかった。ウナギは家族まで手放すことになった。しかし、ウナギはまだ勝負を捨てようとせず「私にはまだ賭ける家があります」とウナギは勝負を続けた。
 周りを囲んでいる動物たちから、大歓声がわき起こった。ウナギにとっては家族を取り戻す最後のチャンスである。観衆の動物たちはヒートアップ勝負を見守った。
 コバンザメはもう勝負に乗り気ではない。彼はウナギの無謀さに辟易していが、周りの動物たちの数はさらに増え、やめるにやめられない状態である。
しかし、またしても、ウナギは運から見放された。家族に引き続き家まで失ってしまった。コバンザメは勝ったものの、どこか憂鬱そうだった。
 動物たちは、スッカラカンになったウナギに同情の視線を送った。だが動物たちみんなはなに食わぬ顔で、帰り支度をはじめた。しかし、ウナギの全身からふり絞るようなかすれた声で「私にはまだ賭ける、骨がありまっす。私の骨を賭けさせてください」
 憔悴ぎみのコバンザメも、からだの一部を賭けるとの決意に応じるしかなかった。ウナギはまた祈り始めた。今度負ければ、長い骨がからだから引き抜かれる。生死を分ける一番である。ウナギは目を閉じて運を天に任せた。しかしこれまでにないほど長く真剣に祈った、しかし勝負はコバンザメに軍配が上がった。
 こうして、ウナギは骨を失い、グニャグニャ、ニョロニョロと生きることになり、ウナギの細長い骨をすべて飲み込んだコバンザメは、無数の骨を持つ魚になった。

 この話を単にギャンブルは身の丈にあった節度を持ってするのだと、言う教訓とする受けとめ方かたの解釈以上に伝えたいことがあると感じる。
 人間の経済活動により地球の温暖化が起きているということは、まぎれもない現実だと公に認められても、それをフェークだと認めようとしない人たち。また、大量生産・大量消費、大量廃棄の便利な生活に浮かれて、目の前の事実を見ようとしない人たち。大量生産・大量消費、大量廃棄に対して警鐘を投げかける人に対して、反体制の煽動者と批判し問題を否定する人たち。それらは、ウナギやギャンブルを見守り歓声をあげる動物たちに例えられないだろうか。また、今の現実を知ってもこの生活の豊かさを享受し続けようと願い、自分たちの生活を変えようとしない人たち。また、いまの未来への問題に対して全く無頓着な人たちを、ウナギとコバンザメの勝負を見る観衆の動物に喩えられないだろうか。ギャンブルに負け続けて博打にのめり込んでいくウナギに喩えられないだろか。日本はバブルを経験しその崩壊も経験してしっている。いまの、大量生産・大量消費・大量廃棄のバブルは崩壊寸前にあること認めることはできるはずです。
 私たちは、今の大都会で生活する便利さがどのようにして、なりたっているかを考え知るべきです。また、日常生活で出される生活ゴミも街中に溢れないのは、それを定期的に回収するシステムとそれに従事している人がいるからです。また、わたしの暮らしている地方都市でも、日常生活のインフラを維持するために、人が寝静まった深夜に道路を掘り起し上下水道や電気や電線の保守点検工事がされている。日常の活動が停まってはいけないと、昼間の平常に時間にされないで深夜にされるので、生活の目では見えづ気がつく事はない。それにより、インフラの保守などの作業に対して感謝することすらできないようになっている。さらに、新しい技術が開発されて生活が便利になることを知ると、それを賞賛して喜んで受け入れる。どんどん便利になる今の世の中に対して疑問を投げかける私のような人を、変人、異端者、危険人物としてし、異教徒や共産主義者として排除しようとする。それは、富の欲望を追い求めることは、骨を失いグニャグニャ、ニョロニョロと生きるウナギになってしまわないか。
関連記事

道路の陥没

 11月2日東京・吉祥寺で突然、道路が陥没し偶然走行していた、ごみ収集車が転落した。
道路や土地の陥没は時々起きている。
2016年11月には、福岡市のJR博多駅前につながる道路で、縦横約30メートル、深さ15メートルの大規模な陥没事故が起きている。陥没による穴は、道路や信号機、土砂をのみ込み、周辺では停電やガス供給停止が起き、交通・金融機関などにも大きな影響をおよぼし、周辺の都市機能は数日混乱しているた。他にもたくさんある。
・1990年1月に東京都台東区のJR御徒町駅北口付近の道路が陥没し、通行人に負傷者が出ている。原因はトンネルを堀り進める際の補助工法として施工した、薬液注入工の注入不足が原因。
・2000年6月に福岡市中央区薬院で市道が約8メートル陥没。地下鉄工事の掘削現場の壁が崩れ土砂が流入している。
・2014年10月に同じ福岡市博多区祇園町で市道が約3メートル陥没している。原因は3メートルほど離れた場所で、下水道を移設する工事によるものだと考えられている。
・2015年12月には、名古屋市中村区のビル工事現場前の歩道で深さが5メートルの穴が陥没している。
・2016年6月には同じ、名古屋市西区の工事現場近くで、道路や公園の一部が相次いで陥没している。原因は周辺で雨水の地下貯留施設につながるトンネルの建設工事がとみられている。
今年になっても、東京都調布市の住宅街で道路が陥没している。現場の地下約47メートルで東京外郭環状道路のトンネル工事をしている。
 テレビや新聞で大々的に報道される、大規模な陥没事故例は、日本で発生している陥没事故全体で見れば、一般的なものではないかもしれないが、小規模なものは私たちの身近なところで、日常的に起きているといえる。道路の下にある下水管路などの地下埋設物に起因する小規模な陥没が比較的頻繁に発生していることがわかっている。
 国土交通省の資料によると、管路施設を原因とする道路陥没事故は、令和の現在でも年間で3,000件も発生している。これは国土交通省「下水道に起因した道路陥没事故の状況」によるものだから、ほかの原因、老朽化した水道の漏水によるものだドを含めるともっと多いだろう。
また、管路以外を原因とするものも含めれば、道路の陥没は年間9,000件以上起きているともいわれている。原因は埋設管などが老朽化すると、穴が開いたり、継ぎ目に隙間ができたりすることで、周囲の土砂が管内に吸い込まれ、その結果として管の周囲に空洞ができ、空洞が大きくなると地盤が支えられなくなり、地上で陥没が起きることになる。日本の地下には、下水道管だけでも地球11周分以上に相当する合計46万キロメートルが埋まっている。そのうち老朽化したものは全国で10万カ所以上あると言われている。今回のような大規模なものは稀としても、いまやどこで陥没事故が起こっても不思議ではないようだ。
 しかし、いまは最新の技術で道路陥没の原因となる空洞を電磁波レーダーを搭載した専用車で、路面下空洞探査が行われ事故が起きる前に見つけることにより、事故を未然に防ぐことが行われている。だが、このような調査が行われるのは主要幹線道路などだけで、住宅街などの生活道路などにまでは手が回らにのが現状のようだ。
 今回の陥没事故の現場横では、ビルの建て替え工事をしていて、道路との間には、土が流れ出るのを防ぐ「土留め壁」と呼ばれる壁が設けられているが、その一部が崩れていたので土砂が流出したのが原因といえるだろう。
 周辺では半年ほど前にも現場近くで、深さ10センチ程度の小規模な陥没が起きている。道路補修する人に聞くと、小規模な何か路面が少しへこんで、アスファルトをめくってみると土がなくて空洞になっていることはよくあるという。つまり小規模な道路の凹みは、大規模な陥没の予兆でもあるだろう。

 教訓として、ちょっと道路のへこんみなどや、アスファルトにヒビが入ってへこんでいるとか、そういう異常をみつけると道路管理者に連絡するべきだろう。
関連記事

ファッション木製壁掛け時計ホーム装飾かわいい鳥サイレント&カチカチ音をたてない素朴な国リビングルーム、ベッドルーム、キッチン、オフィスラウンド10x10インチ、25 * 25cm

 イギリスで国連の気候変動対策について話し合われるCOP26が2日間に日程で開かれた。
そこで、カーボンニュートラル宣言が採択された。世界の国々が温室効果ガス排出を、2030年まであるいは2050年までに温室効果ガス排出零(ゼロ)を目指すと目標を定めて取り組むと宣言している。今まで大量に温室効果ガスを垂れ流してきた先進国は、発展途上国に対して支援をすべきだて、先進国からは資金面で支援する方針が示されているが、どこまで実現するだろうか。
 温室効果ガスによる、地球の気候変動はもはや待ったなしで、10年先30年先などと悠長なことを言っていては手遅れになる。それを各国の首脳はどこまでわかっているのだろうか。わかっていても自国の経済成長を続けるために、踏み込んだ具体的な方針を打ち出せないのか。それと、トランプのようにそれは嘘だと主張して、まったく真剣に受け止めていないのか。また、わかっていても自分の政権を維持するために分っていないふりをしているのだろうか。

 COP26で宣言が採択されたが、その宣言の内容の文言は、過去にない危機意識を持った内容だが、取り組むと美辞麗句の言葉が並んでいるようにも受け止められる。
 温暖化を防止するには、電気エネルギーを大幅に削減し、石炭や石油による発電を止めることだと主張されている。しかし、温室効果ガス排出の原因は化石燃料による発電だけではない。鉄の精製には大量の石炭を燃やすことにより達成されている。私たちの特に先進国のグローバルノウス国の、生活を便利にしている製品には、さまざまな金属がつかわれていて、それらの金属を採掘するのに、途上国の森林が伐採され自然が破壊され、それによる土壌汚染による公害が起きている。さらにそれらの金属を精練するのに温室効果ガスを排出し、有害なものを排出して環境を汚染していることを忘れてはならない。
 このようなことが言われているが、地球温暖化はマスコミによる誇張だと感じる人がいまだに多く、またCOPでの宣言実施を阻もうとする、自分の利益を得ることを優先する企業や団体がロビー活動を展開している。さらに、SDGsや緑の資本主義や環境を守る資本主義などと称し、これから盛り上がる機運に乗じて儲けようとする活動も盛んになってきている。しかし、「エコ」や「緑」「環境に優しい」「持続可能」などの言葉に騙されてはいけない。これらの言葉による企業活動は、汚染物質の排出をしないのではなく、汚染物質の排出を単により少なくするだけで、汚染をしつづけることを見逃してはならない。温室効果ガス問題について、産業革命のころより地球の気温を○.○以下に抑えるというが、その温度までの気温の上昇を認めているのである。

 つまり、北のブローバルノウスの住民が生活することは、発展途上国のグローバルサウスの住民より数十倍環境を破壊し、温室効果ガスを排出するもとになっていることを知り、今の生活の様式を根本的に見直すべきです。それをいま直ぐに取りくみ行わないと、自分たちが生きている間に破局的な局面になるだろうといわれている。
 地球の46億年の歴史で、過去5度の絶滅の歴史がある、その5度とも絶滅の要因は一つの種が招き起こしたものでない。最後の5度目の絶滅は巨大惑星の地球への衝突により、恐竜などの大型生物がほぼ一瞬にして死滅してしまったといえる。(一瞬と言っても数年の時が流れているが。)それ以外に絶滅は数百年から数万年の長い時間をかかけて、それらの種が死滅していっている。しかし、目の前で起きる今回の絶滅は、先に書いた自分たちがの原因で引き起こされ、過去の4度の絶滅した機関よりはるかに短い期間でそれがおこるとみられる。

 私たちはいますぐに、今の生活様式を転換しなければならない。
まずは、欲望の大量生産・大量消費と大量廃棄を改め、知足の重要性を理解するよう意識転換をすべきだ。
関連記事

人生の希望を持てる社会へ

東京の京王線の列車ないで、ナイフで70代の男性をいきなり切りつけ、列車内でライター用のオイルを撒き火をつける事件が起きた。犯人は駆けつけた警察官に殺人未遂容疑で逮捕された。住居と職業不詳24歳の男は「人を殺して死刑になりたかった」などと話しているという。
最近、「死刑になって死にたい」との動機で、犯罪を侵す事件が時々ニュースになる。自分の人生の先行きを悲観て、自暴自棄になってしまう人が増えているのだろうか。
前総理は、自助・共助・公助と言っていたが。いくら努力しても自助不足努力不足の自己責任だ切り捨てられてしまい、自分の人生に希望や夢を持つことができない人が増えていると、いろいろな調査やそれをもとにした報道番組でつたえられている。
京王線の今回の事件も、自分の今後の人生の夢や希望を抱けない状況に追い込まれている人に寄るものだとうかがえる。
公助があってこそ自助ができるので、社会の奈落に追い落とされた人を公助で救い出すようにな施策を期待したい。

岸田氏は自民党総裁選出選で「我が国は民主主義の危機にある。こうした強い危機感を感じ、我が身を省みず誰よりも早く立候補を表明した」「私たちは生まれ変わった自民党をしっかりと国民に示し、支持を訴えていかなければならない」と訴えている。また、経済政策では安倍菅内閣の経済政策について、「『成長と分配の好循環』による新たな日本型資本主義」で新自由主義からの脱却を掲げる。数十兆円規模の経済対策、持続化給付金などの再配布、非正規雇用や子育て世代、学生への給付金なども目指す」としているので、9年間続いた安倍菅政治の転換がなされることを期待したい。
関連記事

衆議院選挙の結果について

  自民 公明 立民 共産 維新 国民 れ新 社民
  261  32  96  10  41  11  3   1

 自民党改選前より議席を減らしたもの、単独で絶対多数を占めている。特段の驚きはないが、今までの安倍菅政治と岸田内閣はどれだけ違うのかを、首班締め選挙後の臨時国会に注視したい。先般の臨時国会の所信表明演説と数日後に開かれる臨時国会での所信表明演説とどれだけ違うのかに注目したい。先の所信表明演説とそれを踏まえての代表質問は、あまり内容のある物ではなかった。今度開かれる臨時国会ではより具体的な内容に踏み込んだ内容になることを期待した。それにより、岸田内閣が安倍菅内閣と違う点がわかるだろう。
しかし、未だに自民党のニAKUの2Aが岸田自民党をどのように操るかが心配だ。

 立憲民主党は前回より議席を大幅に減らしたことは、自民党に対峙する力を削ぐことになったのは残念だ。
驚きは維新の会が大幅に議席を増やし野党第3党になったことだ。維新の会も国民民主党も半分自民党の亜種のようなものなのだが、ポピュリズムなところがあるので、今後の活動には注意が必要だ。
もっと注意をしなければならないのが、れいわ新選組で代表の山本太郎は小沢一郎の下で政治を学んだが、政治経験のない素人の議員が多いの心配だ。議員経験を積み政治を行なう上での大切に守らなければならないことを勉強してほしい。

 安倍菅内閣の政治の約9年間は、議会政治を行なう上で大切にしなければならない、議会ルールの規範を守り議論を尽くす・対立相手は敵ではなく寛容に認める・敵対的な攻撃をしない・メディアを抱き込まない、特権の濫用をしないなどが、ことごとく破壊してしまい、三権分立の原則も人事で怪しくなっている。自民党の安倍チルドレンは、議論よりも決められる政治・反対意見を悪として否定する・相手を敵とみなして攻撃する、メディアを抱き込み世論を操作する、特勤は利用して支持者を増やす。これが政治のやり方だと学びそれが政治の行ない方だと考えている人が多い。それどころが政治を勉強してきたはずのベテラン議員の中にも。安倍菅手法が自分の政治を実現するための正しい?方法だと考える議員もいるよだ。これは民主主義が壊れる要素で危機的状況だ。
 その自民党に対峙するには、同じ方法をとってはますます民主政治が壊れてしまう。
そのようなことから、自民党が単独で絶対多数を取った、今回の衆議院選挙の結果をみて、これからの日本の政治が議会制による民主主義が死ぬのではないかと心配する。

 岸田文雄総裁は自民党総裁選で、自民党員に声を書き溜めてきた、新自由主義の見直し富の配分を考えると主張していたが、それを、自民党党員や議員だけでなく日本の全階層の国民にもそれを公言して実現して欲しい。
これから、岸田総裁が岸田首相として自民党総裁での公約をはたすためには、野党がどのようにそしてどれだけ岸田内閣に迫るかによるだろう。
関連記事

ポストコロナでおとずれるものは

 新型コロナウイルスは世界に拡散し、私たちの生活に大きな影響を与え、世界の経済に大きな打撃を受けている。コロナ禍が今後これからの経済活動にどのような変化をもたらすだろうか。現代の欲望の株主資本資本主義はこのまま続けられるのか。それとも、資本主義の終焉を迎え資本主義からの脱却の方向を見つけ出せるだろうか。今の、新自由主義の欲望の株主資本主義が続くと、未来をどう転換していくのか、経済活動により富の格差が拡大しているといわれる。しかしそれは北のグローバルノウスのの国内だけでなくい。グローバルノウスとグローバルサウスの南北国家間の貧富の格差も、北の帝国型生活様式により大きくなる恐れがある。
 コロナ禍を機会に南北問題に取り組み、南北の差を解消する機会となる行動がグローバルノウスの国がとることができるだろうか。繰り返しになるが、それと全く逆のさら南北の貧富の格差を拡大する結果になるのか。南の国は北の帝国型生活様式の向上の犠牲として搾取されさらに貧しくなるのか。
 これからの地球市民の生活は、アメリカのような欲望の新自由主義資本主義の、弱肉強食の競争により勝者がますます富、弱者は自己責任としてますます貧しくなる生活がよいのか。はたまた、中国のような国家全体主義資本主義の国家管理監視されながらも、富の再配分される平等がよいのか。どちらが貧者に富の再配分をすることができるのか。
 東西冷戦時代で新自由主義が台頭される前は、西側の資本主義国でも、富の再配分がなされ社会保障を重視してきた。しかし、ソ連が崩壊しベルリンの壁が崩れ、東の敵がいなくなると、新自由主義資本主義が暴走しだし、富の集中と社会保障の経費の削減がされるなってきた。ポストコロナ禍の社会は今の状況が続くのか、それとも見直しがされるのか。

 また、日本に目をむけると、日本の企業の経済活動はどのように変わるのか。コロナ禍で倒産する企業が増えている。それにより業種によっては、弱小企業は淘汰され寡占化がさらに進み、欲望の資本主義が強化され貧富の格差が広がるのか。それとも、今までの事業の展開の仕方が変わり、新しいやり方や新しい業種が誕生し、今までにない経済構造・産業構造が出てき変わっていくのか。
 しかし、資本主義の経済活動は利潤を生み出すことにより成り立つなら、現在新自由主義の発想のもと、市場原理をあらゆる活動に取り入れられることにより、コロナ不況から脱出するためといい聖域なき改革・規制緩和によりが推し進められ、鉄道や水道事業などの公共事業や公共福祉政策もその例外でないとされてしまいかねない。水道事業に例をとると、過疎地は利潤を生まない、水質の維持は経費が掛かりすぎるとなり、最低限の経費の支出も削減されていかない。民間の株式会社となると、株主への配当の経費は、水質への経費より優先されるとどうなるだろか。
 現に今日本でも、年金や保険や失業保険などの、社会保障制度を維持するための資金が、収入が減少している利潤が上がらないとの理由で削減されている。インフラサービスの公共事業や社会福祉制度事業などへの資金の投入が削減されサービスが低下しる。サービスが低下するのは事業展開がわるいので、競争原理を導入してサービスの向上させようとする人がいる。しかし、民間への売却によりそれらの事業が株式会社に移行すると、利益のでない事業は縮小廃止されていく。それにより公的保証が危機に直面する恐れがある。

 地域によっては、人口減少などにり街のシャッター道理が徐々に進んでいたのが、このコロナ禍により一挙に加速している。阪神淡路大震災のとき、神戸では依然から再開発計画が議論されていた地域が、お互いの利権などのために遅々として進まなかった。それが地震とそれによる火事で街が全体が壊れてしましった。それより再開発が一挙に進められ大きな商業ビルと、マンションなどがたてれれた。しかし、一挙に進めたためにそこには議論を尽くさなかったため、いまその新しい街には昔のように人の賑わいはもどらず、地域のコミュニティーなど様々な別の問題を抱えている。ものごとが一挙に進むと解決すべきことが置き去りにされてしまう一つの例だといえる。
 コロナ禍で急遽臨時の財政を出動したので、国の財布が危機だなどと言って、収益がでないので事業を展開することはできない。それと同じように、公共事業や社会保障などにも市場原理が導入されると、採算が合わないところは縮小や廃止されてしまう。
関連記事

プラスチックゴミでおもうこと

 プラスチックは分解しないが、太陽光や風や川や海の流れの中で劣化して細かく砕かれている。それをマイクロプラスチックといい、さらに細かいものをナノプラスチックという。

  *ものの大きさは、メートル センチ ミリで表され、マイクロメートルは100万分の1メートルで1mmの1000分の1、ナノメートルは10億分の1メートルで1㎜の100万分の1となる。
細菌の大きさは、大腸菌の長径の長さが約4マイクロメートル、サルモネラ菌の長さは2マイクロメートルほどといわれている。ウイルスの大きさは、インフルエンザウイルスやコロナウイルスなどは、100~200ナノメートルくらい。
  *大気汚染で問題よく聞くPM2.5は、2.5マイクロメートル程の大きさの大気汚染物質を指す。

 海洋を漂ったプラスチックは海の波で砕け、マイクロ、ナノプラスチックとなり、魚の体の中に取り込まれている。魚の胃袋からだけでなく、魚の肉からもマイクロ、ナノプラスチックが見つかっている。小魚がマイクロプラステイクを取り込み、その小魚を大型の魚が食べマイクロプラスチックを取り込むようになる。消化器官の中だけではく、胃や腸を通じて血管に入りそれが筋肉に取り込まれる。食物連鎖によりその魚を人間が食べることにより、人体への影響を及ぼすことが指摘されている。
また、海だけでなく、大気中にもマイクロプラスチック、ナノプラスチックが、含まれていることが確認されている。私たち人間も、その空気を吸い込み人間のからだに取り込まれている可能性がある。また、大気中の含まれるナノプラスチックが、雨として降り川の水が汚染されている。そのナノプラステックに汚染された水を、浄水場で濾過できるのだろうか。出来ないとなると毎日ナノプラスチックをからだの中に取り込んでいることになる。
私たちの日常着ている、衣服にもナイロン素材が使われているが、その衣服を洗濯機で洗うとき、マイクロプラスチックが発生する。最近の洗濯機は衣服の毛綿を取り除くたっめのフィルターがついているが、それをみると結構な量の毛綿が漉されて溜まっている。フィルターを擦りぬけて排水されるものもあるだろう。また、洗濯ものを干し乾いた洗濯物を叩くと、結構洗濯物から繊維の細かい綿ホコリがちり、空気中のそのホコリがまき散らされるていることになる。
ある採取場所から、1リットルの大気から、5,000から10,000個のマイクロプラスチックが確認されてたという報告もある。
だからと言って、今後一切プラスチックを使うなというのは非現実てきです。リサイクルや再利用や廃棄処理法を根本的に見直すとどうじに、私たちの生活の意識の変革も重要だろう。使いつてでなく、大量消費でない方法に転換していかなくてはいけない。
 プラスチック同様に、人間が作り出したり経済活動をすることにより、他の素材も劣化により小さく砕けてPM2.5の大きさまで砕けて大気中に浮遊しているものがたくさんあることは知っておかなければならない。

**
キロメートル=千倍
メートル=1分の1
  デシセンチメートル=10分の1  分
 センチメートル=100分の1    厘
ミリメートル=1,000分の1     毛
マイクロメートル=1,000,000分の1 微
ナノメートル=1,000,000,000分の1 塵
ピコメートル=1,000,000,000,000分の1 莫
関連記事

地方の自律

 わたしの小さいころは、買い物にいくにはマイバックは必須でした。「マイバック」のことばではなく「買い物かご」でした。豆腐を買うのも鍋をもって買いにいき、醤油や酒も量り売りをしてくれるので、ビンを持って買いに行ったりしました。ハムやソーセージなどもパック詰めではなく量り売りでした。お菓子なども商ケースにそのまま入っていて、店の人にこのお菓子ちょうだいと言うと、商品ケースから店の人が紙袋に入れてくれる量り売りでした。今のような袋に詰でさらに小パックに詰めて売られているようなことはなかった。それが60年代ごろまで。

 いろいろなものを雑多に売るスーパができ、一括会計をするようになり買い物籠が消えていき、スーパ側が紙袋に渡してくれてそれに詰めていた。70年前半ごろだ。その後レジ袋が急速に広がっていって、買い物籠が駆逐されてしまった。しかし、レジ袋公害が問題になり、最近になりようやくレジ袋を減らす策としてでレジ袋有料化になり「マイバック」を多くの人が持ち歩くようになりました。しかし、プラスチックゴミはレジ袋だけではなく、お菓子やハムやレトルト食品など、いまだに多くのものがパック詰めされて売られています。これを、量り売りにすればプラスチックゴミ公害は大きく減少するでしょう。
 しかし、プラスチックを使わないようにするには、多くの食郎品製造業界や多くの消費者は反対する。製造者側は商品輸送ができない、長期保存ができない、衛生面で問題がある。販売する側にも計量が手間だ、保存ができないなど。消費者なども、お菓子を例にすると不衛生だ、長期保存ができない、保存容器がいるので不便だと反対する理由をあげる。
 過剰包装を無くすことができても、今の食べ物の販売流通しすてむから、プラスチックを減らすことは難しいだろう。一番最初に上げたわたしの小さいころだと、地産地消の食べ物が多かった、天ぷら屋さんや豆腐屋さんパン屋さんなどはそれぞれ町に一軒ぐらいはあったが、それもスーパが町の小売店を潰していき、こんどは大規模ショッピングモールは小売店や町のスーパを駆逐していっている。大きいものが小さいものを食い潰しさらに、メガビッグストアーが大きいものを食い潰すことがおきている。
 大量生産・大量消費、大量廃棄の結果、地産地消を駆逐の連鎖が起きている。それにより一たびどこかで問題が起きると全体がストップしてしまい成り行きがたたなくなってしまうことがある。話しは少しずれた例になるが、鉄道の変電所のトラブルにより鉄道全体が止まったり。銀行の小さなトラブルが銀行全体の送金出入金ができなくなるなどの事故が起きている。これは中央の集中管理により、システムが巨大になればなるほど、一箇所の不具合が全体を混乱を招くことになることを示している。
 大型ショッピングモールができたことにより、町の商店の経営に経営がなりたたなくなり、町の豆腐屋さんやてんぷら屋さんやパン屋さんが潰れて、豆腐や天ぷらやパンの味が全国同じになってしまう。言葉に方言があったがそれが、国語教育とテレビにより共通化してしまったのと同じように。地方のその地の味がなくなることは、生活自体が味気なくなりるとどうじに、JRの停電や銀行のシステムトラブルのように、突発的なことに弱いことをしめしている。
 地産地消と地方の自立もたいせつだが自律も大切といえるので、今の寡占システムよりも分立を目指すべきでないだろうか。
関連記事

Leapfrog(かえる跳び)

 いま、アフリカなどで、リープフロッグ(英語: Leapfrog 「かえる跳び」)現象が起きている。簡単にいえば、インフラ未整備のアフリカで最先端技術が導入され、一足飛びにイノベーションが生まれている。社会課題をビジネスチャンスに変え、アプローチが難しかった低所得者市場に開かれて商業チャンスが生まれ、生活のしかた自体が一足飛びに飛躍する現象だ。
 グローバルノウスの北の国の人はスマートフォンなしでは生活が非常に不便になりつつある。しかし、グローバルサウスの南の国では、スマートフォンなしでは生活できなくなってきている。金融決済ではいままでは、金融機関に預金していなくてはならず、銀行などの金融機関で手続きをしなくてはならない。しかし、デジタル決済により金融機関に行かなくても送金ができるようになってきている。グローバルサウスなどのアフリカのサバンナで暮らす地域では、では金融機関の施設が無いところがあるので、スマホの決裁は便利だ。
私たちは今まで段階的に発展してきている。金融に関しては銀行が設立され通帳を持ち送金をしていた、その後デジタル決裁が行なわれるようになり、それにより通帳がなくても送金出来るようになってきている。北の国では私のように、金融機関をとしての送金でないと不安だが、南の国では一足飛びに送信が普及してきて便利、私たちより便利な送金の仕方をしている。
人間を含め生物が段階をふんで成長いく、文明・文化もおおむね同じように発展してきたが、いま、グロバルサウスでは段階を経ずに一足飛びに進歩し発展して、リープフロッグが起きているようだ。

しかしリーブロッグは、いまのグローバルサウスの国の成長のことに限らず、統治や政治の面でもあり、また文化や生活様式にもいえる。さらに日常なさまざまな便利な家電製品にもいえ。情報伝達のありかたにもいえる、口伝から写本から活字へそして、新聞かラジオへ、さらにテレビへそしてSMSへと進化している。また、狼煙から電信そして電子メールへ。
わたしの生まれたときはすでにラジオはあり、電気や水道やガスは普及していた。しかし、下水道はまだ未整備だった。家電製品もようやく電気炊飯器や電気炊飯器が市場に出回り出したころだ。テレビは本放送されていなかった。生活ゴミの回収もいまのように自治体が責任を持っておこなわれていなかった。
私が物心ついたころは、水道とガスと電気がほぼ普及して日常生活で使っていた。だがその少し前は都会は別として、多くはなかったが、田舎などの地域によっては、川に水を汲みに行き山に柴を刈をして生活をしている人もいた。
関連記事

日本民族はどこからきたか

 私たち日本人は何処から来たのか。三つのルートから来たといわれている。一つは、大陸と台湾島が陸続きだった台湾から与那国島に渡ってきた。しかしそこには難関があった。世界一速いと言われる黒潮である。(しかし最近実証実験をして台湾から与那国島への丸木舟での渡航に成功している。)台湾から与那国島へ渡りそこから琉球列島へ、鹿児島から九州へ本州と広がっていった説。一つは、朝鮮半島から対馬から九州へと渡り日本全土に広がっていった説。一つは、シベリヤとサハリン(樺太)が陸続きで、今の間宮海峡はなくサハリンと北海道と本州も陸続きだったころに、やってきた北海道から東北関東中部近畿と広がっていった説。
 日本でもっとも古い土器の出土は縄文土器で、近畿や九州ではなく東北地方から多く出土されている。東北には古来から蝦夷(えみし)と呼ばれる人が暮らしていて、ヤマト王朝時代にヤマトは征伐隊を送り、また、源頼光の土蜘蛛伝説などがある。また、蝦夷(エミシ)は北海道の前の呼び名蝦夷(エゾ)と同じ漢字であることから、大和王朝時代の東北の蝦夷は北海道のアイヌと非常に密接な関係があるだろう。
 しかし、1万年前以上の縄文土器が多く発見されるのは、東北地方に多く発見されている。つまり、そのころの文明の先進地は東北以北にあると言える。ただまだ北海道では1万年前の遺跡は発見されていないようだ。
 しかし、縄文土器から見ると日本の文明は北からやってきたとみることもできる。しかし、3000年前には中国文明が台頭し世界的に見ても文明の先進国になっている。そこで地理的の近い九州、近畿の豪族が、東北の蝦夷(エミシ)とのバランスが逆転し、弥生時代古墳時代の2000年以上遙か前に文明も力も逆転している。土偶や埴輪にみられる。縄文時代の土偶の体や顔に刻まれた線は、入れ墨と考えられ、入れ墨がされているのは権力者などが中心dが、弥生時代から古墳時代になると、入れ墨を施されれているのは咎人にされている。咎人に入れ墨をいれる行いはは、江戸時代までつづいている。流刑にあったものは、腕に入れられ前科があることの証とされていた。
 この入れ墨が権力者と罪人とが入れ替わったのは、北方の蝦夷(えみし)の人たちと、朝鮮半島からの渡来人との入れ替わりを意味しているのだろう。

ホモサピエンスがアフリカを出て、インドを経て南回りの東南アジアから中国からと、インド中東からシルクロード街道を経て中国から朝鮮半島と、それらの人びとが北上してサハリンから北海道を経ていると考えられる。そう考えると、この三つのルートからの渡来とすると、日本は単一民族国家ではなく三つの民族からなる国家であるともいえる。
関連記事

先住民族の知足

 新大陸、新開墾地への入植者たちは、元からいた人々を騙し殺戮して、土地と文化を奪い居留地に押し込めていった。さらに新大陸では入植者が持ち込んだ細菌やウイルスに対して、もとから住んでいた先住民たちは免疫がなく絶滅していった。また、元からいた先住民に、物欲の価値観はなく経済は物々交換だったが、貨幣と経済を教えて物欲という価値観を教えてしまった。それにより今までにあった精神文化を破壊していった。それは、経済活動の社会では物欲は美徳である。それは知足の価値観とは相いれないものだが、経済活動が発達し終焉を向かえようとしているいもこそ、知足を見直すべきだろう。

 強欲の植民地主義や帝国主義は、法にしたがった形に変えて今も続いているといえる。それはグローバルノウスの帝国型生活様式は、グローバルサウスへの生産産業移転で、安い労賃と工業生産によりでる有毒排出物や温室効果ガスの排出を押し付けている。それはつまりはグローバルサウスの人びとの犠牲により成り立っていることになる。しかも、帝国主義時代よりもたちが悪いのは。グローバルノウスが作った国際法や取決めにより、正当におこなわれているのです。
 このことから、グローバルノウスの人たちは、人文を含めて帝国型生活様式を改められるとはとうてい思えない。
 私はこのブログで「知足」の重要性を幾度も書いているが、強欲な人間は今のことしか考えないで、「知足」を悟ることはできないと思っている。
以前に書いた記事、北斎漫画の第十一編の絵に、『事たりる 足るにつけて 足らぬなり  足らて事たる 身こそやすけれ』が添えれている。
この出典は、お釈迦様の弟子に対しての遺言からくるのであろう。
「汝等比丘の方は即ち是富楽の處なり。知足の人は臥すと雖も、猶ほ安楽なりとす。不知足の者は天童に處すと雖も、また意に稱はず。不知足の者は富めりと雖も、而も貧し。知足の人は貧しとも雖も、而し富めり。不知足の者は常に五欲の為に牽かれて、知足の者の為に憐憫せらる。是を知足と名づく。」
 いつになったら、人間ホモ・サピエンスは、『吾足唯知』を悟ことはできるのだろうか。それとも悟ることができないまま、このさき10年20年30年と、経済成長を追い求めつづけるのだろうか。

  五     五   
 矢口隹   矢口隹  
  疋     止  
関連記事

ゴミの処分法

ショートショート小説作家の星進一の作品に、題名は忘れたがおおよそ、次のような内容のものがある。

あるとき突然、庭に穴が開いた。穴をのぞいてみるとそこが見えず真っ暗だ、深さを探るためにそばにある石を落としてみたが、石が底に着いた音がしない、そこで今度は石を二つ落として見たが今度も底に着いた音がしない。
二、三日たって、家の生ゴミを捨ててみたが、臭いも揚がってこない。
底があるのか無いのか、深さはどれぐらいかわからない。その噂が広がり、皆がそこの不要になったいろいろなものを捨てるようになった。みなはこれでゴミ問題は解決する。これで大量生産・大量消費・大量廃棄の生活は安泰だと喜んだ。
それから数年たち、あるとき、空から石が一つ落ちてきた。近くには高い建物などないもないのに、そしてしばらくして石が二つ落ちてきた。二、三日たって生ゴミが落ちてきた・・・・


私たちの現在の、便利な生活は大量生産、大量消費、大量廃棄の一方通行でなっりたっている。最近リサイクルを加え循環しようとしているが焼け石に水のようだ。また廃棄されたゴミは、目のつかないところに移されたり、目の見えない所で処分されている。
私の街では、市が週二回燃えるゴミの収集をしている、燃えないゴミは隔週一回回収している。市が月に一度ペットボトルや空き缶や空きビンを回収している。自治会は月に一回紙類を主に回収している。どれも大量の量です。特に空き缶とペットボトルは非常に大量です。また、週二回の燃やせるゴミの袋を見ると、生ゴミのなかにまだ食べられるものや、野菜など調理の段階で食べられる部分も捨てられている。とにかくゴミとして大量に出されるものが多い。

私たちが暮らしている街のある、ゴミ焼却場はゴミ廃棄所などは、さしずめ星新一のこのショートショートの穴だともいえるだろう。消却の時にでる、熱や煙や灰など処理はどのようにしているか、自治体により多少違いはあるが、トイレのないマンションでたれ流している処もあるようだ。いずれ大量生産・大量消費・大量廃棄はとんでもないしっぺ返しが起きるだろう。
静岡県熱海市でのあった土石流は残土崩落事件だった。熱海に限らず日本各地で高層ビルや地下街や降雨の遊水施設などの地下施設が造られているが、その施設を造るときでる残土はどのように処理しているのか。新たに地下鉄や道路などのトンネルなどをつくると、その残土が必ず出るがそれをどのように処理されるか皆は無関心です。リニア新幹線は殆どがトンネルだという、つまり大量の残土がでるのだが、リニアの速さだけに話題がいき、その残土がどのように処理されるかは一切知れることはない。トンネル近くに捨てられるのか、掘ったトンネルを使ってダンプで品川まで運び、東京湾にリニアの車両基地の人工島を建るのだろうか。
関連記事

らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい

マタイによる福音書 第19章
23それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。24また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。(日本聖書協会1973年版 31頁)

この「らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」有名なことばですが、私が中学のときに神父から「針の穴」とは地名だと説明を受けた。そのとき地図でここだと示すことはされなかった。具体的にどこにあるかと聞いた記憶はないが、キリストの話した言葉なので中東付近でるとはわかっていた。商人が関所を通るのと金持ちが関所を通るのとでは、通行税が違うのだろうとそのとき思ったぐらいだった。
しかし、最近、「らくだが針の穴を通るより」は、ヘブライ語の聖書からすると「綱が針の穴を通る方が」となっているするネットでの記事を、「聖書の話し~キリスト教福音宣教会(https://bible-cafe.com/story/76)」で見かけたので気になって改めて調べてみた。
すると、1985年に世界遺産に登録されたヨルダンの『隊商都市ペトラ』に、古代都市ペトラへの入口である。その薄暗くて狭い峡谷は、およそ1.2キロメートルで狭いところでは幅が2メートル程のうねった通路で、ペトラの最も精緻な遺跡であるエル・カズネに行き着く街道がある。
つまり、キリストの言葉の「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」の、「らくだ」とはキャラバンの商人のことで、「針の穴」とはペトラの岸壁の狭い街道のことだった。
世界遺産オンライガイド(https://worldheritagesite.xyz/petra/)にそのペトラである「針の穴」の写真が紹介されている。

ペトラの針の穴の狭い通路を通るには、らくだに多くに荷物を積んでいては、狭いところでは幅が2メートルもないので、大きな荷物を背負ったらくだは通りない。荷物をらくだから下ろさして小分けをして運ばないと通れない。富んだ大商人もペトラを通るには、荷物をらくだから降ろさなくはならないのです。

マタイによる福音書によると、イエスはその前に言っている。
20この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。21イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。22この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。23それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。

らくだから荷を下ろさない、大商人はペトラを通れずに商売ができずに貧里に迷うことになる。強欲で物を捨てられずにいると、愚痴ばかりがでて闇路に迷い込んでしまう。
現代のいま、まさに闇路に迷い込んだ我利我利亡者の私たちが、ペトラの針の穴を通ろうとしているのではなかろうか。足るを知りものを欲せずに進めば、天国に行けるのが悲しみながら立ち去った青年になるのか、それとも、貧しいキャラバンのらくだとして、針の穴を通っていくのかそのと分岐点にいるのだ。

このマタイによる福音書のつづきは、
27そのとき、ペテロがイエスに答えて言った、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従いました。ついては、何がいただけるでしょうか」。28イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。29おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。30しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう。

2000年前のイスラエルは12の部族が競い合っていたようだ。それはともかく、ものを捨てた部族の子孫は繁栄していき、その取り組み方により、それら12の部族の部族の優劣が変わり決まってしまう。
これを現在に地球の諸国家の先行きをダブらしてみてみたい。
関連記事

SDGsはただしいのか

私は、「エコ資本主義」「SDGs」を初めて知ったとき、この考えを実現できれば素晴らしいことだが、限界があるだろうと思った。それと同時に疑わしくこれからの地球の課題を解決出来ないとも思った。
産業界は消費者がそれに関心を抱き始めると、すぐに「エコ」に対し「SDGs」の各項目について、反応をして自分の生産する商品の販売戦略のための付加価値を付けようとしている。「エコ」や「SDGs」は企業にとって宣伝販売戦略の一つとなってしまっている。本来の考えからその路線を外れて走り出していると私には見える。
「持続可能な成長」「持続可能な発展」は本当に出来るのだろうか。

SDGsなどで、成長や発展と言えば経済のことを指してつかわれるが、しかし成長・発展は文化や科学・技術の発展・成長もある。これらの社会的な成長とは別に、人間にとっての進化・成長、発展となるとどうだろうか。
ホモ・サピエンスが20万年前にアフリカの中央東側で発生し、5万年前に出アフリカの旅にでてから、生物学的に脳科学的にみても進化などしていないという。1万数千年前に狩猟採集生活から農耕革命を果たし、技術や文化などの面では発展しつづけているが、人類としての進化はしていない。一方経済的・政治的、文化的な面はどうだろうか。1万数千年前の農耕革命以降から蒸気機関による産業革命まで、部族の形成から国家の成立と発展してきたが、経済的な発展では250年前ごろ急速に発展し50年前ごろから加速度的に成長をしている。
一方国家形成の発展は6千年前ごろから現代まで遅々としてしか進化していないのではないだろうか。独裁的な政治統治から、全体主義へと進み、民主主義と社会主義の実験さらに、経済面では新自由主義が台頭してきたが現在はその綻びが露わになって問題になっている。そのようななかで衆議の合意を重視する民主主義は、決められない政治として民主主義への不信が深まっている。ポピュリズムが台頭してきている。また新型コロナ禍により適切な対応が後手にまわるのも、民主主義に不満疑問を抱く人が増えてきている。それにより、政策を実行するために結束が叫ばれたりしてきている。果たしてこの世界はどのようにこれから進むのか、成長しているのだろうか。

経済の面では、成長の限界点を越えているという者、経済には限界点はないと主張する者もいる。
今世紀に入ってから、経済発展が地球の生態系に大きな影響を与えている、また人間社会に大きな歪を作り出しているとして、SDGsなどが最近問われるようになってきている。
そこで、エコ資本主義とか持続可能な発展としてSDGsなどが議論されいるが、それらの実現は可能だろうか。脱成長の資本主義はありうるか、それとも資本主義の終焉後の、ポスト経済を考えないといけないのだろうか。
人間の本性は欲望や野心は厭くこと足ることを知らず、欲望により悩みが増える迷える貪欲な亡者だという人もいる。
では、物に対しての欲望の成長や発展を追い求めてつづけてしまうのか、脱成長、脱発展を目指すことができないのだろうか。私はその解決の重要なものとして『吾足唯知』だと考えている。

天台宗の開祖である智顗は、『天台小止観』で、「人は常に五欲に悩まされている、しかしそれを追い求めやまない。それは悲しいことである」とのべ、欲望を厳しくとがめている。
智顗は、どのように五欲を呵責するのか。の問いに対し、「悲しいかな。人人は常に五欲のために悩まされているのに、しかもそれを追い求めてやまない。この五欲は、これを得れば厭くことなく、しかも悪い心がいよいよ劇しくなること、火に薪を増やせば、その炎がいよいよ熾んになるようなものである」。

智顗は、経につぎのようにあると言う。
物欲を追い続けるとどうなるのか。
 欲が深く好きな味のものを好むと、生死の苦労が絶えない。
 むなしくさまざまな辛苦を受けざるのは、怨仇を養っているのは、墓に入るようなものだ。
 物欲にとりつかれていると体の臭いことは死骨のようで、人のからだにある九つの孔からは常に不浄なものを流し出している。
 そのような、愚かな貧りの多いわが身のあり方は、ウジムシが糞を楽しんでいるようなものだ。
 これらから抜け出す智慧ある者はまさに自分の体を観察し、それは、好ましくない影響もなく欲望の迷路に迷いこむこともなくなる。
関連記事

ウイリアム・シャトナー宇宙旅行

 55年以上つづく米国の人気SFテレビドラマの「スタートレック」の初代作品『宇宙大作戦(日本名)』の宇宙船エンタープライズ号のカーク船長役を演じた、ウイリアム・シャトナーが実際に宇宙旅行をした。いままでの地球の大気圏外に行った最高齢記録を90歳と塗り替えた。

 米宇宙企業ブルーオリジンは13日午前、米テキサス州の施設から独自開発の宇宙船「ニューシェパード」は4人の民間人を乗を打ち上げられた。その乗客の一人として、「宇宙大作戦(スター・トレック)」でエンタープライズのカーク船長を演じた俳優ウィリアム・シャトナーと他3人が乗船、宇宙カプセルは高度100キロ超の宇宙空間に到達し、約3分間の無重力を体験し、パラシュートで打ち上げから10分後に無事地上に帰還した。
 他の3人の乗客は宇宙関連企業や、医療関連企業の創業者らで、料金は非公表。シャトナーはスター・トレックの熱烈なファンの「ブルー・オリジン社」の創業者ジェフ・ベゾス氏は、スター・トレックの熱烈なファンで無料で、ウイリアム・シャトナーを無料招待したという。宇宙船は完全自動操縦で、ロケットで打ち上げるカプセルに最大6人乗れ、ロケットやカプセルは繰り返し利用できるそうだ。

 シャトナーは地上に降り立つと感極まった表情で、声を震わせながら、「世界中の皆がこの経験をするべきです。信じられません」と語り、黒い宇宙と青い地球を目の当たりにしたことを「世界中の誰もが見るべきだ。この気持ちを忘れたくない」と語った。シャトナーは宇宙旅行について「地球の青い空のすぐ外には広大な暗闇。そこに行ってしまうとすぐに死が待っている。私が見たものはそんな世界だった」とコメント。SFドラマの「エンタープライズ」の世界とはまったく異なると口にした。
 また地上に降りたってからベゾス氏に「あなたのおかげで、人生で最も意味深い経験ができました。感激しています。感情がいっぱい溢れています。今の自分の状態から普通の私に戻りたくありません。ずっとこのままでいたいです。私や、生や死というものを超越しています」と、涙声で感謝の意を伝え、それに対し、ベゾスが「美しいですね」と声をかけると、シャトナーは地球や宇宙のことを聞かれたと思い「美しいが、そうではなく・・・・」と口ごもるシャトナーに、ベゾス氏が改めて「ウィリアム、あなたのコメントが美しいという意味ですよ」と伝えると、「ああ、でもどうでしょう、うまく表現できません」と答え、地球には空気があること自体が宝のようで、地球では生を感じるが、宇宙に出るとそこは死だと話した。

 1961年に、ソ連とボストーク1号に乗ったガガーリンが、人類が初めて宇宙から地球を見て「地球は青かった」青い地球の貴重さを伝えた後も、米ソは冷戦で争い対立していた。それから、8年後の1969年に月面着陸船アポロからの「月面からの地球の出」の写真を送信してきた。そこで改めて宇宙ででの地球の希有さ大切さを誰もが感じ取ることができる。そして現在は国際宇宙ステーションから送られてくる地球の写真を見ると。青い地球の表面を色の薄い大気圏の膜が覆っているのを知ることができる。そのすぐ外には漆黒の暗闇が広がっている。その漆黒の闇に行ってしまうと死しかないのがわかる。現在その淡い薄い大気のベールが、私たち人間の活動や今の地球に棲息すしているあらゆる生命を保護してくれている。
 鶏がまれに殻のない卵を産卵することがあるが、原因はカルシウムが不足すると、正常な卵の殻を作れないので殻がブヨブヨで柔らかい“軟卵”や、まったく殻がない薄皮で包まれた黄身と卵白だけの玉子“殻なし卵”が産まれる。殻がないと外の環境の変化をまともに受けその影響は甚大だ。また細菌やウイルスからの攻撃に弱い。薄皮だけだとその受精卵は成長していくにつれ、薄皮が破けてそれ以上に成長できず死んでしまう。今の地球はまるで薄皮だけの卵のようだと言えないだろうか。

 地球は大気圏という殻につつまれていて、常に太陽フレアの影響や流星などの隕石が降り注いでいる。しかしそれらは大気圏で太陽フレアの影響は軽減され、隕石は殆ど燃え尽きてしまっている。しかし、現在は人間の経済活動がかつてなく活発になり、地球の生態系や自然システムに影響を与えている。いままでも、地球自身の活動により地球は変化してき、生命が誕生しその生命形態に影響を与えてきたが、一つの生命体が地球に影響を与えることがなかった。しかし地質時代区分人新世と呼ぶように提案され、人類が地球の地質や生態系に与えたのは、地球創世以来初めてです。それにより地球の両極のオゾン層に孔が空いたり、地球の温暖化の気象変動に影響を与えている。これは、殻のない卵のようになってきていると言えないだろうか。
 それは、地球は人間の活動により危機に瀕している見ることができる。温室効果ガスこのまま排出し続けると、地球の温度は今よりほんの1ー2℃上がっても、地球の生態系が狂い、人間を含めてすべての生命体の棲息を危うくし、多くの生物が絶滅の危機にあると言われている。そのような状況のなかで現在「脱成長」が問われている。しかし、「脱成長」を唱える人に対して、それは陰謀論だと非難し、今までも問題が指摘されてきたが、人類はすべて今まで人類の英知・知恵でさまざまな問題を解決してきたように、今後も科学技術が解決してくれると、ユートピア的楽観論を述べる人もいる。
 しかし、国際宇宙ステーションから送られきた地球の写真をみると、地球を保護してくれている大気圏の膜は、卵の殻よりも薄く柔いようだ。その絶妙のバランスの上でこの青い星の地球で多くの生命が共存共棲しているのだ。15日のNHKの「チコちゃんに叱られる」で、NHKが開発した極超高性能カメラが、月の調査のミッションを受け月を周回している衛星「かぐや」に取り付けられ、月からの地球の出の満月ならぬ「満地球」の美しい映像が送れれてきている、その映像を見ると地球は非常に美しい姿をしている。
 太陽系の他の惑星や衛星はどれも、月のような死の姿をしている。「かぐや」から送られてくる地球の写真を見たり、シャトナーの言葉を聞くと、いつまでもこの地球を残していくべだと考えさせられる。一方国際宇宙ステーションから送られてきた、地球の夜景の写真をみるとアメリカやヨーロッパ、日本など人類が活動しているところが星を散りばめたように輝いている。それを見て、美しいと感じるのかそれとも、恐ろしいと感じるのか。地球の夜景の写真をみると、今や暗いところはない、アフリカやシベリアやアマゾンなども星が散りばめられてみえる。唯一暗いのは北朝鮮ぐらいだ。
 科学技術の進歩に期待をするが、過信してしまわないで、今までの生活のあり方を見直す必要がある。これからの地球の薄い膜をまもるために、今までの経済活動をこのまま続けていくのか、さらに進化させるのか、立ち止まるのか、後退するのかを、考え決断しそれを押しすめていくことが必要だ。しかし、それをバラバラにやっていては、結果は最悪の方向に進むだろう。どれを選ぶにしろ最悪のものを選んだとしても、バラバラに進んでいくよりもましな結果になるだろう。
関連記事

先住民族

 私たちのこの地球にはさまざまな人がすみ、さまざまな民族が住そこには伝統の文化が培われている。
その中で、民族の文化が危機に瀕している、その危機に貧しているのは少数民族であり先住民族です。特に他の地域から入植・侵略してきた民族に、もとからいる民族に悲劇が繰り返されている。
しかし、少数先住民族の文化や真理を探る精神の中に、これからの地球の人類の危機を乗り越える知恵が詰まってると考える。

 先住民族の多くの問題と言えば、コロンブス以降のアメリカ大陸での西部劇などの米国のネィティブアメリカンのインディアンや中南米のマヤやインカなどの文化が滅んだことや、オーストラリアのアボリニジーが居留地におしこめられ土地を取り上げられたことを思い浮かべる。
さまざまな虐殺や略奪や民族浄化政策や同化政策などに注目されるが、アメリカ大陸だけでなく、オーストリア大陸だけでない。ヨーロッパ人が新大陸を支配しているだけでなく。東南アジアや東アジア、シベリアなどにも多くの少数民族が住んでいる。歴史的な時間の短い長いは関係なく先住民族が多く住んでいる。そこには支配民族と多くの摩擦が起き、今でも支配と抑圧と差別などで衝突や紛争も起きている。そしてこれらのことは五大陸すべての地域で大なり小なり多かれ少なかれ起きている。

 日本は、1986年に中曽根康弘首相は日本には少数民族はいないとの「単一民族発言」があり、いまでもネットでアイヌ民族と検索すると、「先住民族として認めない」「先住民族はいない」などの言葉がヒットし、いまでも民族差別が根強くある。そんななかでも、アイヌ民族が先住民族として公式に認める動きがでたのは、参議院が2008年に、国連の「先住民族の権利に関する国際連合宣言」採択により、アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議がなされている。
 また、先住民族ではないが、歴史的にみて独立国であった琉球王国に薩摩藩が侵攻し徳川幕府は事実上容認した。その後明治政府は廃藩置県による琉球処分により沖縄を併合したことを認めず、沖縄の県民を琉球民族とも認めようとしない。
 先住民族問題、少数民族問題は実は他人事ではないはずです。しかし、多くの日本人はそのことを認識していないのが現状といえる。

 国連は「先住民族の権利に関する国際連合宣言」は、先住民族を「国際法上の主体」として位置づけ、先住民族が個人としても、また集団としても、国際社会が認めたあらゆる権利を享受すると明言している。それは以下のようなこととなどです。
・自己決定権(自決権) ・平和的生存権 ・知的所有・財産権 ・文化権 ・教育権 ・メディア・情報への権利 ・経済権 ・発展の権利 ・医療・健康権 ・土地権 ・資源権 ・土地や資源の返還・賠償・補償を求める権利 ・国際協力を受ける権利 ・越境権
 上記などの広範な権利を、先住民族の権利として規定している。
 しかし、これらの権利を支配民族や支配地域の人たち、支配を続けるために言語の使用を禁止し強制的に同化させたり、強制的に一定の居住区に押し込めるなどをし、上記の項目などはなかなか受け入れがたいものです。
 先住民や民族の定義の仕方はいろいろあり、議論は別れるが先住民族や少数民族の権利は保障されるべきで、支配者がそれを蹂躪することをしてはならないことです。


地球の未来の2030年の分岐点、2050年の終末論などが取り上げられるが、グローバルノウスとグローバルサウスの南北問題や先住民族・少数民族問題が解決しない限り本当の意味での、明るい未来へ進むことはできないだろう。
他者を尊重しお互いの多様性を認め合い、お互いに協力し合うこと、共生してゆくことをしなければならないのだ。
関連記事

より良い地球を引き渡すために

「仏教の世界観には地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天、惣結(六道の総括)の七つがる」。
脱成長の話しをここのところこのブログに、地球温暖化や経済成長には限界があり、近い将来暮らし難い世の中になると書いている。子孫にいや子どもや孫に、暮らしよい未来の地球を引き渡せるために、私は「吾足唯知(吾唯 足を知る)」しかないと思っている。

いまの新自由主義資本主義経済は、成長の夢に取り付かれ成長しなかったら、物がなかったら不吉で恐ろしいことになると、多くの人はその強迫観念に取り付かれるている。
それは、仏教でいえば三悪道の地獄であり餓鬼であり畜生の悪夢を想像し、その結果として阿修羅になる。
物へのあくなき執着は、餓鬼道であり畜生道であり結果、阿修羅道、地獄道への世界に迷い込むしかなくなる。中村元が『往生要集を読む』(講談社学術文庫)で「飢渇に苦しむ、すなわち福徳のない者が陥り、常に飢え・渇き苦し悩まされ・・・(68頁)」とあり「餓鬼は、いわば欲求不満の人間の姿を表現している。欲望はたぎっていうrが、何らかの制約に妨げられ、欲望はついに充足されないのである(同)」という。また阿満利麿が『『往生要集』入門』筑摩選書で、源信は「慳貪」と「嫉妬」の者が堕ちると述べていると紹介している。畜生についてはむろん畜生とは動物のことだが、人が畜生になるのは「「畜生道」に堕ちるのは、「愚痴・無慚にして、徒に信施しを受けて、他の物も償はざりし者」(77頁)」。中村元は「浅ましい存在であり、互いに殺し合っているだけにすぎない 同(87頁)」と源信の考えを紹介している。新自由主義資本主義の経済活動は、競争原理での勝ち残りの弱肉強食で、負け組は自己責任で退くのみの世界です。まさに、源信の往生要集の餓鬼であり畜生たといえる。これからのグローバルな共存社会をつくりにあ、新自由主義の成長ありきのそれからの決別が必要ではないだろうか。
それでも強欲の新自由主義資本主義をつづけるなら、餓鬼道と畜生道よりもっとひどい地極道の世界となるのではないだろうか。

また大切なことは以前にも書いたようにカタツムリに学び、成長の夢をみつづけてももはや成長はないことを知ることだ。また、新自由主義経済のなかでは、失敗したものは負け組で負けたのは自己責任だとされてしまう。そのため互いとの競争は、餓鬼であり畜生となり阿修羅となってしまう。そのような世界には、平安安寧の世界は訪れない。
しかも、物を追い求める大量生産・大量消費による成長の夢を見続けてきが、その限界の特異点を越えようとしていると言われている。それを越えれば世界は、仏教でいうならば六道の地獄の世界に迷い込むことになる。

現代社会はグローバルな世界で、一日もかからず地球の裏側に行け、情報だけなら一瞬で伝わる世界です。しかし、地球に住んでいる全員が同じ質の生活を過しているかというとそうではない。経済の勝ち組負け組の貧富のさだけでなく、南北問題もある、南北問題とはグローバルノウスのグローバルサウスへの搾取である。これらからお折る問題を解決するには、足ることを知り、さらに今の私たちの生活が帝国型生活様式であることを自覚し、その生活を見直すことから始めなければならない。
しかし、その見直し躊躇ったり抵抗したり反対する人がいる、それは餓鬼道の生活であり、畜生の生活であり、地獄道の生活であることを知り、犠牲になっている人が多くいることを知り、そのような生活の転換をしないと、今後の地球の未来は閻魔大王から裁きを受けた地獄での生活になる。
関連記事

脱成長から

脱成長はなしとげられるのか

自民党に岸田新総裁が誕生し、衆議院選挙が昨日公示され31投票だが。
岸田総裁は、新自由主義政策の見直しで分配と成長をうつだし、分配を重視する意向をしめして、過去9年の安倍菅政治とは違うということを言っているが、党の人事や閣僚人事をみると期待外れだ。日本は30年近くゼロ成長で、それからぬけ出し安倍内閣のときからの懸案である、2%成長の実現を目指すといっているが期待薄だ。安倍元首相はアベノミクスによるトリクルダウンで再分配をするといっていたが、内部保留が増えただけだった。国会の所信表明や代表質問を聞いていても、環境対策や地球温暖化に対しての取り組みも期待できそうにない。日本経済を復活させ成長軌道に乗せるなら、選挙で岸田首相が続いても何もかわらないだろう。
民主主義の選挙なので、国民からの票を得るために「成長路線をやめ環境重視に転換するので、国民のみなさんこれからは我慢してください」と言うと、選挙の票がとれないので成長という言葉を使うのはよく理解できる。

しかし、これらの未来の地球と日本を考えると、日本はすでに賃金が上がらず30年近く成長していないので、賃金の上昇よりも福祉の向上に向けての脱新自由主義に転換すべきではないか。『脱成長』言えば過激な表現なのでで、別の表現をするなら『資本主義経済の終焉とつぎえのステップ』とでもいうべきだろう。
日本は江戸時代に250年近く低成長を経験している。戦後の高度経済成長の後の経済の低迷と賃金の据え置きを経験している。
そのことを考えると、経済成長よろも、大きな政府福祉の充実を目指すべきだ。福祉を充実冴えるには財源が必要でそのためには経済成長が必要だとい。ここで発想を転換できないだろうか。
自民党は、細川内閣で下野に下る前ごろまでは、福祉の充実にも力を入れてきたし、自民党の中にも声をあまり出さないが、福祉の充実が国民のためになると考えている議員も多いはずだ。

老後や子どもの教育費が心配なれれば、そんなに多くの賃金が是非とも欲しいと思う人もいるだろうが、それより現状で満足して今の生活のより充実と、仕事への充実感を感じれば生産性も高まることになる。
江戸時代は250年の低成長の時代だが、歌舞伎や浮世絵や浄瑠璃、遊郭文化や草紙本の出版文化や民芸品など多くの町民文化が花咲き繚乱した。また、鎖国といわれながらもオランダを通じて諸外国の多くの制度を吸収している。それが、明治維新以降の自由民権運動や経済発展につながている。経済の成長が停まっても、文化は発展し庶民の生活の充実度が上がる事がわかる。

かつては、米国に次ぐ世界第二位の経済大国と豪語した。しかしいまや、経済成長は止まり没落途上だ。それを認めないでいると経済成長できないで、世界から取り残された遅れた国になる。今までのゼロ成長を生かし発想の転換を図り世界の先進の先頭の模範と機会とすべきだ。
関連記事

経済成長について思う

日本に限らずグローバルノウスの豊かな北の先進国と同等の生活を、南の後進国の人びとにができるようにするには、どのようにすればよいか、いやそれができるだろうか。
アメリカの中間層の人の生活を世界中の人がするなら、今の何倍の資源とエネルギーを消費を必要とするかを、少し想像しただけでもそれは無理なことだとわかる。スタートレックのレプリケーターを使っての生活は夢の夢でしかないのだ。

エネルギー消費を抑え、大量生産から脱却してサイクルの短い買い替えをせず、大量所費に背をむけて、ものが故障しても修理して使いづける習慣に戻ることは可能だ。しかしこれをすべてのすべえの人に推奨はできても、強制はできない。今の北の国の生活をいまより落とすべきなのか、そうだとしてもそれを実現できるのか。今から10年前の生活をするようにと言われても、ほとんどの人はスマートホンを手放すことは拒否するだろう。

地球上の地域によって格差はあってよいが、それが公正で公平であらなければならない。だが今の世界の現状は、先のブログでも幾度も書いたように、グローバルノウスの帝国型生活様式がグローバルサウスの人を搾取しているのだ。先進国は産業の生産拠点を南の国に移転し、そこで安い労賃で物を作らせ、温暖化効果ガスを排出させている。また北の国の人が使う製品を作るために、南の国の資源を採掘(略奪)し自然破壊をする結果になっていることを知るべしです。

特にグローバルノウスの先進国は脱成長を真剣に考え、エネルギーの使用をいまより落とすことをしなければならず、大量消費に背をむけ、大量廃棄を改めなければならない。そのためには北の国の政府が真剣に取り組まないと、北の国の市民も過去の成長の夢を追い続け、取り返しのつかないことになるだろう。

まずは、物に対しての『吾足唯知』であり、精神性の心の豊かさに転換していくべきだ。
ではどのようにそれを実現するために運動してゆけばよのだろうか。

スエーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんのように主張し続けるのもひつようだろう。また、孫やひ孫に未来にこの地球を快適に暮らせるように引き継ぐにはそれだけでは不十分で、経済の成長について真剣に見直し行かなければならない。

しかも、北の国ライフインフラを維持し、南の衛生環境や飲み水の向上をしていかなければならない。
それは、北の国で生活をする人にとって痛みとなるものもあるのだ。
関連記事

経済成長について思う 2

いまは、新型コロナウイルスにより、経済活動が落ち込み働くことできなくなり、収入が減り生活が苦しくなっている人が多くいる。これももう少し続くかもしれないが、いずれウイルス感染も収束に向かいそれが過ぎれば、以前のような生活に戻るだろうと信じている。
グローバルノウスの国で帝国型生活様式の暮らしをしている人は、コロナ禍が過ぎ豊かな便利な暮らしが戻ってくれば、今後も続くと信じて疑わないでいる。経済成長はなくてはならないもので、生産と消費は経済の両輪でそれが停まれば人類は滅んでしまうと考える。

しかし、いまほど経済成長について考え直さなければいけない時がきている。それこそ、このままグローバルノウスもグローバルサウスも経済成長の活動を追い求め続けるなら、人類が滅んでしまうどころか地球のあらゆる生態系が滅んでしまうことにならない状態になってきていいることを知るべしである。
あらゆるものは永遠に成長をし続けることはありえないのです。以前にこのブログで書いた「カタツムリの成長」であり、カタツムリはその殻をもう一周成長させるには、今の16倍のエネルギーを必要とし、ある時点で成長を止める。これはカタツムリに限らず他の生き物でも同じです。人間も生まれて20歳ぐらいまでは体重が増え身長も伸びていくが、ある時点で成長は止まってしまう。経済も同じで無理に成長をさせようとすると、カタツムリが成長しつづけると自分の殻を身体が支えきれなくなるどころか、いくら食べ物をたべてもそれ以上の消費をしてしま死んでしまうのと同じことが起きる。

大量生産は大量消費が無ければなりたたづ、大量消費をすれば大量廃棄を引き起こす。また生命活動の代謝と同じように、大量生産の経済活動をするための、炭酸ガスの他にも多くの生命にとって有害なものを排出しなければならない。それが生態系の大きなダメージを与える。人類がアフリカを出て狩猟採集生活から、農耕革命を興してから自然に大きな影響をあたえてきた。しかし蒸気機関による産業革命までその影響は目だたないものだった。ロンドンで初めてスモッグが発生して、影響が出始めたがその後、200年程その影響はたいしたものではなく、技術核心でなんとかなるとたかをくぐっていた。1972年に、ローマクラブが人類が今後もこのま経済の成長をつづけるなら、100年後に限界に達するとの『成長の限界』の報告書を提出した。そのごも、何度となく報告を出しているが経済界や各国の政府は聞く耳をもたなかった。ローマクラブの報告から今年は半世紀たった。
ローマクラブの成長の限界の、10年ほど前にレイチェル・ルイーズ・カーソンは、『沈黙の春』を発表し、化学農薬の危険性を報告している。しかし今はさまざまな化学薬品や化学農薬が使われ、生態系に大きな影響をあたえるばかりか、ホルムアルデヒドなど人間の生活を豊かにするものが、逆に人間の生活にも悪い影響をあたえている。

経済成長と化学薬品の使用をつづけることから決別する時がきているのだが、政府はそれを認識して使用の危険性を口にしても、それらからの決別に踏み切れないでいる。しかしいまや待ったなしになってきていることはさまざまな観点からものを見ればあきらかだ。
関連記事

戦後75年 これからの75年

私は団塊の世代といわれる時期の終わりのときに生まれ、物心がついてからは戦争の傷跡は目に焼き付くようなものはなかった。繁華街の元町に行くと駅の階段で傷痍軍人がアコーディオンを演奏などをしてたぐらいで、街は爆撃や焼夷弾の痕はなかった。家の近くの漆喰を塗ったレンガ塀に、機銃掃射の弾痕の痕が残っているのと、家の北側の空き地に、倉の地下壕の土台跡が残っていたぐらいだった。あとは、日本の経済は高度成長まっしぐらでバラ色の用に見え、大学にいくための状況した70年代もこのバラ色がいつまでも続くと錯覚していた。
しかし、私の親の世代は、生まれた頃に関東大震災があり(親は体験していないが)、阪神大水害で水害に遭い、アジア太平洋戦争の空襲で家を焼かれ、阪神淡路大震災で住んでいたマンションは倒壊したのを体験している。
私は、それを考えるとバラ色に見えた時代を過ごして、災難といえば阪神淡路大震災ぐらいだ。
しかし、40歳を過ぎたころから世界的な不景気なり、そのご日本は30年以上も賃金は上がらない状態が続いている。
これは本当に不幸なことなのだろうか。私の学生ころ銀行の預金金利は7%程で10年預けると、100万円が200万になるほどで、それがいつまでも続くと勘違いしていた。それと同時に幹線道路沿いでは排気ガスによ、公害訴訟がおき光化学スモッグなどが発生し、地方の田舎の地域は人交流出ふせぐために、工場が誘致され、自然が破壊されていった。また、同時に都市文化が田舎に流入し、地域での絆が崩れてしまったところも多くあった。

世界は二度の世界大戦を経験しそれから、75年以上が経っている。世界は大戦でヨーロッパや日本、中国やアジアの地域で、街は破壊され経済は混乱したが、その荒廃からの復興をなしとげていった。それと同時に東西冷戦が始まったが、幸せの発展を遂げたといってもよいだろう。しかしベルリンの壁が崩れ、ソ連が崩壊して冷戦が終結し、世界やより幸せになると錯覚してしまった。新自由主義経済グローバル化は、南北問題のグローバルナウスがグローバルサウスに対して帝国型生活様式で搾取と略奪をして、南北の分断を生み地球を破壊するまでになっている。
これからの75年はどのような未来になるだろうか。

グローバルナウスの国の人々は、技術革新がこれからもよりよい世界が訪れると信じ、経済成長は7%ではないがスローでも2%を目標とすると持続可能な世界が達成できると信じている。しかし、これから、10年、
20年30年、100年と2%との成長を続けるとどうなるだろうか。常に複利で2%成長をするなら、100年ごは今の何倍にいるかを考えると、成長をし続けることは不可能で、カタツムリの成長の学ぶべきではないか。いやすでにカタツムリと成長点を超えているのに成長を目指しているのではないだろうか。
しかし、多くの人は成長の夢をみつづけ、いままでの成長の転換を拒んでいる。子孫からいや孫からいまの大人の行いにたいして反旗を翻されるときも間近ではないだろうか。
これからの教育は、子や孫に対してどのような教育をすべきだろうか、いまの大人の成長ありきの行いにたいし従順する教育か、それとも訴えを起し反旗を翻すように教育すべきか。が問わる時がきている。
関連記事

北斎漫画 ほか

このブログで、『北斎漫画』の十一編と十二編の巻末の絵について書いた。しかし北斎はそれ以前にも、一枚もの浮世絵の版画ではなく、冊子ものの絵手本を数多く出している。有名な『北斎漫画』は、「漫画」とついているが、「漫画」は現代でいうマンガでいう、おもしろい物語の絵ではやストーリーのある劇画とはまったく違う。「漫画」とは、「気のままに画いた素描」という意味で使われていた。つまり『北斎漫画』は『北斎の素描集』となる。

北斎は読本の挿し絵など、仏教説話や『水滸伝』『古今奇譚蜑捨草』『復讐奇話絵本東 錦嫩』などの挿絵を手がけ人気を博したようだ。
その後に、手習い帳などをだしている。北斎が最初に出した素描集といえるものは、『己痴 夢多字画尽』といわれている。その他にも『略画早指南』『三体画譜』『一筆画譜』などがある。その一つとしてボストン美術館で、見つかった肉筆画集の三冊見もそうだ。私は、それを『北斎漫画』の版下絵が見つかったとかいたが、それは私の早とちりかもしれない。十五編の『北斎漫画』はすべて縦綴じだが、ボストン美術館で見つかった三冊の肉筆画はすべて横綴じだから。『北斎漫画』の次編のものとは断定できない。
北斎と言えば『富岳三十六景』のような、一枚ものの浮世絵と思いがちだが、肉筆画もあれば草紙ものもたくさんある。
例をあげると、先の上げた三冊もどうだが、他にも『蓮華台』『花鳥画賛歌合』『女一代栄花集』『今様櫛きん雛形』などがあり、縦書きでは『新形小紋帳』など見本帳などがそうだ。
しかし、ボストン美術館で見つかった版下絵集は、『北斎漫画』の絵の内容などや構成と類似点があるので、十六編以降のため画いたものと見て間違いないのではないだろうか。

北斎は人気の浮世絵師としてだけではかく、今でいうもの挿絵の画家や見本帳や辞典などのイラストレーターでもあり、当時非常によく活躍した絵師であったことは事実だ。しかし、片づけ下手な人物がよくもこう沢山の作品が残せたのも脅威だ。
関連記事

地球を救う8つの取り組み

ここ何回か、このブログで地球の未来の先行きは、明るく破滅に向かうようなことを書いた。では地球を救うための方策はあるだろうか。

そのための、これからの8つの取り組み
最近といっても二十世紀の1973年に、ノルウェーのネスが「ディープエコロジー」という考えを提唱した言葉を最近よく聞くようになった。
「エコロジー」とは、地球環境問題を生み出した現代文明に対する思想的な反省はして、人類いや地球の未来を考えるものです(明鏡国語辞典)
ディープは、深い 深遠之意味から、「ディープエコロジー」とは、人間に特別な価値を認めその利益を目的にするのではなく、すべての生命にそれ自体としての価値を認める立場から地球の生態系を保護しようとする思想(広辞苑)

未来の地球、人間の存続に対して、人間の活動による地球の温暖化や新自由主義経済の成長による問題、発展し続ける科学技術の今後の課題について、また政治システムや社会の統治方にが今後どう変わっていくのか。それらをに対して未来は破局すると不安視する見方がある。それらは学者や有識者の杞憂ではなく、現実に起こりつつあるさまざまな事例や現象をみると、実際に破局に向かいつつあるようだ。
そこで、地球の未来が破局するのではなく、明るくするためにディープエコロジーの観点にたっての7つの考えを総合的に実現すべきだとの主張がある。
ネスは「ディープエコロジー」を次の七つの点によって特徴付けている。
1生命体や人間を、個々ばらばらな存在として捉えるのではなく、「相互連関的・全フィールド」(the relational, totalュfield)と捉える。
2「生命圏平等主義」(biospherical egalitarianism)それぞれの種が生きるのに平等の権利がある。
3「多様性と共生の原理」種を超えての互いに共存し協力する方向を目指すべきである。
4「反階級の姿勢」目指すものは「無階級の多様性」。今日の南北問題にもこの姿勢を適用する。
5「汚染と資源枯渇に対する戦い」
6「混乱ではなく、複雑性」反目したり絶滅させるのではなく種の多様性を認め尊重する。
7「地方の自律と脱中心化」地産地消と中央集権ではなく生活地域主義を重視しる。

つまり、人間も生態系を構成する一員であるとし、人間生活と自然環境の調和・共存を考えいかなければならない。それを実践するのが下の8項目。
この8つにどのような主語を付けるかにより、私たちの未来は変わってくるだろう。
1.種それぞれの生命の固有の価値の尊重
2.種それぞれの生命の生命の相互依存
 3.種それぞれの生命の豊かさと多様性の維持
 4.他種生命に対して人為介入の功罪を省み避ける
 5.それぞれの生命の適正個体数特に人間の数の減少
 6.人間活動の大量生産消費廃棄政策の見直し
 7.大きいことよりも偉大であることへの価値観の転換
 8.地球を維持するためへの運動の展開
これら8つを実現できるか。

しかし、これらを実現させるとなると、8no今のような運動の展開が一番難しいかもしれない。豊かで便利な生活はできなくなるので、必ず抵抗・反対する人が必ず出てくる。豊かな人やグローバルな大企業など、また、豊かさを知りそれにいつまでもしがみ着こうとする人たちだ。
そのような人たちを根気強く説得していくしかないだろう。しかし、説得には時間がかかるのでその間に時間が無くなるり手遅れになる恐れが高いのも事実だ。

これらの8つのことについて、考えたことを追いに書いていこうと思う。
関連記事

衆議員解散

 岸田首相は任期満了を控えた衆議院を解散し、総選挙に打ってでた。
 首班指名をうけ、所信表明演説をし代表つ問を行ないそれに対しての、岸田内閣の信任選挙ともいえる。

 小泉元首相は古い「自民党をぶっつぶつ」といって、選挙区に小泉チルドレンの刺客送り込み、古い自民党の悪い部分が改められたが。しかし時間が経つにつれ、それ以上に自民党のよい部分の多くも掃き清められてしまった。
それが、第二次安倍自民党に引き継がれ進化して、菅自民党で完成したようだ。
 自民党総裁選のときに表明していた、新自由主義の見直しと再配分、国民の意見をしっかりと聞くなどで岸田自民党になり、多様な意見が戦わされた元の自民党のに戻るだろうか。それとも今の自民党の人事をトップが握る、閣僚の人事を内閣府が握る、トップの意見に対し意義を唱えるものは飛ばしたり干したりの更迭は、これはよいものだと安倍菅の時と同じことを繰り返すことにならないか。

岸田首相の所信表明演説に対しての代表質問があったが、その答弁を聞いていて、総裁選での言葉と違い今までの安倍菅と大した違いがないように感じた。
関連記事

小判の吹雪

下の絵は北斎漫画 十二編の最後頁の絵です

   メンズボタンニットカーディガンセーターカジュアルピュアカラーウールニットロングスリーブセーター
   国立国会図書館デジタルライブラリー

小判の吹雪の中で女の人が立っている姿の絵。右上に豊年と書かれている。
「今年は五穀が豊作で、稲穂を揺らす風はまるで小判を降らすかのようだ」

十一編の最後の大尾(最後の頁の意)絵は、「吾足唯知」の銭を背負っている唐子の絵で両脇に添えられている言葉は。
「事たりる 足るにつけて 足らぬなり  足らて事たる 身こそやすけれ」と添えられている。
十一編の絵と十二編の絵とは正反対の感じです。
----
8日の北斎漫画 十一編の最後の絵の「吾足唯知」に描かれている子どもを「唐子」と書いたが、テレビ時代劇の『子ずれ狼』の子ども「大五郎」の髪型で江戸時代には、あの髪型の子どもが多かったようです。また、あれは唐子ではなく江戸の町の子どもです。ここで訂正いておきます。
----

十二編の、こちらは小判の吹雪の中で、蓑を被った女の人が立たって空を見ている。その、顔をよく見ると表情は微笑んでいるようにも見える。
まるで「足りても足らぬ、小判よもっと降れ/\」と云う感じだ。しかもよく見ると、背景の右下後ろには珊瑚のようなものが画かれている。その反対側の左側には大きな巾着のよなものが画かれている。さらによく見ると小判だけかと思っていたが、楕円形だけではなく、四角い形のもあり一分銀も降っている。
十一編と違い十ニ編はその大尾絵は、爽やかさを感じさせるように描かれているが、それだけに足をしらない強欲そのものを感じさせる。

8日に北斎の日常生活は、無精で掃除をせず衣服は襤褸でも気にせず。素っ気なく不仕付けで、あっさりしていて人と会っても頭を下げず長話もしない。買って来た食べ物も包んである竹の皮からそのまま食べ、着物も流行を追うこともなかったという人だったと紹介した。つまり、北斎の住む家は今でいうゴミ屋敷のようだたことになる。しかし、北斎は部屋が散らかってきたら引っ越しすることにより、それを解決しさらに引っ越しで今でいう断捨離をしていたようだ、90年の人生のなかで93回引っ越しをしたという。
もっとも、当時の江戸の町民の生活は質素で、布団と日頃着る服と、鍋釜茶碗ぐらいしか持っていなかったので身軽に引っ越しできた。しかし北斎は絵師なので絵を画く絵筆などの道具と絵を画くための資料などがあるので、一般の町民よりも多いだろう。
現代人は物に執りつかれ棄てることができないでいるが、北斎は物を捨てられないのではなく、ゴミがあっても気にしない人だったようだ。だが、北斎に限らず人間に限らず、すべての生物は代謝し排泄する、排せつをするのはその物が生物の体内にあると毒になる。身体から出されたその排せつ物も身近にあれば有害になる。人間は食べ物だけを排泄するのではなく、生活する上でさまざまな物を使いそれが不要になれば廃棄し処分処理される。物に執りつかれるのもよくないが、物が溜まっていくことを気にしなくなるのはさらによくない。

江戸時代のようにスロー生活ならさほど問題にならない(江戸時代には循環型のリサイクルする仕組みがあた)。しかし、現代の大量生産・大量消費・大量廃棄の生活様式では、大掛かりな処理施設で有害なものを浄化するシステムがあるが、それでも、大量廃棄>処理浄化になっている。それは大量生産・大量消費・大量廃棄は大量破壊につながっていく。

個人なら北斎のようにゴミがたまれば引っ越しすればよいし、民族などでも歴史的に見て民族が大移動することもあり、会社などの大型ストアーなど組織でも採算が合わなければ撤退すればよい。
しかし、人間は地球が汚れたらからといって、他の星に移住することもできない。移住するには人数が多すぎるし、人が住める星自体見つかっていないし、あってもその星にたどりつくまで何世代もかかる。SF物語ではそのような話はあるが、夢にもならない話です。
それではどうすればよいのか、足るを知りスロー生活をして、脱成長を目指すべきだがそのようにするにはどうすればよいのだろうか。


事たりる 足るにつけて 足らぬなり
     足らて事たる 身こそやすけれ
関連記事

6度目の絶滅はあるのか

46億年前 地球誕生
冥王代
1回目 オルドビス紀末の大量絶滅
約4億4300万年前に発生した、生物種の85%が死滅した大量絶滅。
絶滅の原因については未だに不明だが、太陽系に存在する恒星が崩壊する際のガンマ線を地球が浴びたために、地球の環境が激変し生命も死に絶えた。

38億年前
始生代
2回目 デボン紀後期の大量絶
約3億7400万年前、海中の酸素濃度減少と寒冷化が進み、生物種の82%が絶滅。
絶滅の特徴は、何らかの理由で海水中の酸素が無くなる「海洋無酸素事変」が原因と考えられ、海洋生物のみに起きた。

25億年前
原生代
3回目 ペルム紀末の大量絶滅
約2億5100万年前の大量絶滅。海生生物の95%、生物種の90%以上が絶滅。
原因はよくわからず不明とされている。地球の内部のマントルを流れるマグマが地球上に溢れ出し、超大規模な火山噴火が発生し、成層まで舞い上がった噴煙・火山灰が日光を何年も遮断し続け、生態系を崩壊させた。

4億8800万年前
古生代
4回目 三畳紀末の大量絶滅
約1億9900万年前の大量絶滅。爬虫類や大型の単弓類(哺乳類型爬虫類)の多くの種が絶滅しました。生物種の76%が絶滅。
諸説あるが、有力なのがカナダに巨大隕石衝突が大量絶滅。

1億9900万年前
中世代
5回目 白亜紀末の大量絶滅約6550万年前メキシコ・ユカタン半島沖に落下した隕石衝突による大量絶滅です。恐竜や翼竜、魚竜、アンモナイトなど生物種の70%が絶滅しました。

これまでの、生命の絶滅の現象は地球地殻活動や、地軸のゆれによる気候変動、地球外天体の衝突によるものです。

5500万年前
新生代から有史時代へそして現在
第1回目は宇宙生成活動による天体現象、次の2回は地球の自体の活動によるもの。そして過去の5回の絶滅のうち、最後の2回は地球に隕石が衝突したもとかんがえられている。
しかし、これから起きるだろう6回目の絶滅の原因は今までのシナリオとは違う原因になると主張する人がいる。
6回目の絶滅の原因は、我々人間ホモ・サピエンスの活動が原因だというのだ。

 地球への隕石などの衝突なら、今の天体観測の技術では数10年前からその隕石の軌道が計算され予測がつくだろう。そして衝突した場合の生物の影響は数日あるいは数カ月で全地球地域におよび急速に絶滅へ進むだろう。それは地球の歴史から見て一瞬にもならない時だ。しかし、人類の取っての恐怖は巨大隕石が地球に衝突することが判っていることだ。また衝突しなくても地球の公転軌道を変えてしまうとなれば、気象への影響は避けられないだろう。例えば今の軌道より少し太陽に近くなったり遠くなったりする。あるいはいまはほぼ円軌道だがそれが楕円軌道になる、あるいは軌道の中心点がずれるなど。
また、いまも大陸のプレートが動いているがその臨界が来て、大規模な地殻変動や地盤沈下や隆起、あるいは火山活動が連続的多発的に活発になる。
しかし、天体活動も地殻活動も安定期になっているので、その可能性は起きても数万年数十万年後だろう。

 なら一番可能性の高いのは、人間の活動となってしまう。地質学者のなかに、今は「人新世」だという人もいる。
私が中学生のころは、今は新生代の第四紀の完新世だと教わったが、いまは人が地質の影響を及ぼす「人新世」だというのだ。
この人新世を使いだしたのは、ノーベル化学賞を受賞のパウル・クルッツェンらが2000年にAnthropocene(人間の新たな時代)を提唱したのが始りという。

 では、どのように人間の活動が地質に影響し、生物の大絶滅に関わるのか。
 今一番問題視されているは、人間の経済活動による化石燃料を燃やすことによりでる、温室効果ガスの排出による地球の気温が上昇し異常気象がおき自然災害の激甚化、さらに今まで作れてたいた作物が作れなくなる。南北の両極圏や高山の氷河が溶け海面の上昇により、平地が水没することにより住む処や耕地の水没、さらに海面の上昇による地下水の塩化するなどだ。
それにより耕地が減り食糧不足になる。
 人間の成長至上主義の経済活動により、資源の枯渇や資源開発により自然破壊、人口の増加と経済成長による都市の過密化による、環境破壊などのよる生命の絶滅。
 他には、他の種を絶滅させていくことにより、生態系のバランスが崩れてのドミノ倒しのように他の生命も絶滅していくことも考えられる。
関連記事

蠅の王 2

 『蠅の王』はフィクションだが、少年たちの行いによる結末の結果は救出されはしたが、信頼できなくなり人間の本性はこんなものだろうかと感じさす暗いものだった。

 しかし、この小説が発表された15年程あとに、トンガのアタという離島で同じように10代の6人の少年が遭難し無人島に漂着し、15カ月後の救出された出来事があった。
 その出来事はは、『蠅の王』とは全く逆の展開だった。6人の少年は厳格なミッションスクールの寄宿生だが、宿題をするより冒険をすることに憧れていた。あるとき少年は漁師から帆船を借りることにし、ある夜にこっそりと小さな漁港から出帆した。天候は穏やかで順調だったが、数時間後には嵐になり襲う波にたたき起こされて、帆も引き裂かれてしまった。16日間漂流したのちにアタ島という無人島にたどり着いた。
少年たちは二チームに分かれ働くすることにし、仕事を分担するための当番表もつくった。ときに喧嘩をするときもあったが、喧嘩をすると少年たちはそれぞれ島の反対方向に行き、怒りを鎮めすことをした。そのようにして友情を保つことができた。絆を深め協力し合うことが大切なことも学んだ。また、少年の一人が漁船の配電盤から銅線を取り外し、銅線とココナツの殻で弦楽器を作り、仲間を励ましたりした。また、崖から滑り落ちた仲間を助けるために、一人が危ない崖を下まで降りていき、全員で協力して助け出し、骨を折った所も棒と葉で固定した。落ちた少年を励ますために「君はタウファアウ・トゥポウ王みたいにそこで横になっているあいだに、僕たちは君がする仕事をするから」と冗談も込めていまは休めといったりした。
 そのような日々がつづき、1年3ヵ月ぶりに救出された。救出されたとき地元の医師が健康状態を診たが、健康状態は非常によく身体も健全だった。骨折した少年の足も完璧に治っていた。なぜ少年たちは『蠅の王』の少年たちのようにならなかったのか。フィクションと現実とは違い、人の本性は善で、悪の行為は心が私欲によって覆われることから生じるからだ。
 しかし『蠅の王』が世界中で翻訳され今も版を重ねているのは、人間は嘘をつく、騙す、挑発する、敵対する、といった行動をとる方が面白いからだ。テレビなどでも視聴率がとれるので、人の悪の面のフィクションや、刑事物などの番組が作られる。また、ドキュメントでも善よりも悪の面に視点をおいた構成になったりする。しかし、現実はそうでなく、アタ島の少年たちの姿は、助け合う困っている人がいたら手を差し伸べることをするのが、人間の本性だからだということをものがたっている。本来人間はやさしいのである。

 しかし、今のテレビ番組などで、人間は嘘をつく、騙す、挑発する、敵対するのが人間の本質だとした番組の構成のほうが視聴率がとれるので、そのよう番組のデレクターなどが仕向けることもあるようだ。露骨にはそのようなことをしないが、バラエティー番組などで、視聴者の興味を高めるために「笑い声」「拍手の音」などがバックに挿入されているのもその一つだ。このような小細工だけでなくもっと演出されるものもあるだろう。

 フジテレビが放送する恋愛リアリティー番組、「テラスハウス」に出演中だった女子プロレスラーが自殺した事件は、記憶にまだ残っている。これはコスチューム事件とよばれ、女子プロレスラーが大切にしていたコスチュームに対してのトラブルが、ネット上の個人への誹謗中傷の攻撃となりその重圧に耐えられず自殺したとされている。この番組には台本はなく言動などはも決まっていない。しかし、番組を進行するため大まかなあらすじ・筋書きはスタッフから口述で伝えられるたという。他のドキュメント番組でもしばしばやらせ問題が起きていることを考えると。視聴率優先のリアリティー番組なら充分に考えらることだ。
 女子プロレスラー自殺事件では、SNSなどのインターネットで、女子プロレスラーの言動が誹謗中傷の対象となり炎上したことで、SNSなどのあり方や、その投稿者の利用の仕方やその心理が問題としてとりあげられた。しかし、放送局自体に視聴率至上主義の番組作成のあり方については、番組の廃止などはされても、番組制作方針については問題にはされていな。そのような番組を作れば自らを否定することになるからだ。そのため自分たちの番組制作について、責任の有無を問うような番組を作ることは、現場のスタッフが作ろうと考えても、番組制作の上層部や放送局は作らせな力が働いているからだろか。

 話しはだいぶ横道にそれたが、人間の心理はウィリアム・ゴールディングのように性悪説ではなく、トンガのアタ島での現実の遭難事故のように暗いものだけではなく、性善説なのだろう。しかし、人間はギュスターヴ・ル・ボンの『群集心理』に書かれているように時に、個人の心理としてではくそれが集団になれば、とてつもなく大きな力となり暴走ししまう。SNSなどの普及により、集団化がおこりやすくなっている。SNSのない時代から、民衆が暴徒化するなど、過去に幾度となく大きな過ちに陥ったことが数多くある。SNSによる投稿なども気をつけないといけない。

 また、そのフランス革命やアラブの春など、暴徒化が社会を大きく変革する、推進力になる場合もある。これについたは、改めて事例をみて考えてみたい。
関連記事

蠅の王

ノーベル文学賞を受賞したイギリスの作家ウィリアム・ゴールディングは、『蠅の王』という作品を残している。

あらすじは
 イギリス人が乗った飛行機が南太平洋の孤島に墜落した。奇跡的に助かったのは少年たちだけ。島には食べも豊富にあり、することにうるさく干渉する大人もいなく、自由奔放に暮らせることに少年たちは喜び、リーダーにラルフを選び、生活での決めごとは民主主義の制度を築くことにした。ラルフの計画は「楽しむ」「生き延びる」「船に気がついてもらえるように狼煙をあげつづける」。
 大人のいない島での暮らしは、当初は気ままで楽しく感じられた。「楽しむ」はうまくいった。三つ目の「狼煙をあげつづける」は、遊ぶことに夢中になり、食べることに関心がいった。特にジャックは船が近くを通っても豚を捕まえることに夢中になり、狼煙を上げるのを忘れてしまった。ラルフはジャックを責めるがジャックは反発する。
 ビギーは眼鏡をかけた太っちょの喘息持ちだが冷静な少年だった。しかし誰も理性的な言葉に聞こうとしなかった。ビギー「ぼくたちは何、人間?、動物、それとも野蛮人?」と自問するのだった。

 数週間後にイギリス海軍の船が少年たちを見つけた。しかし、島は焼けはてくすぶり、荒廃しきっていた。ビギーを含む3人が亡くなっていた。
それを見た海軍の士官は「君たちはイギリスの少年だ、もっと立派にやれたはずじゃないか」。ラルフは「始めはうまくいっていたんです。でもそのあとで、いろんだことがあって・・・。ぼくらは始めは団結してやっていたんです」。ラルフは始めのころの島の面影を思いだし、今の朽ちはてた島のようすが目にはいってながめていると、ラルフは身を震わせ嗚咽し泣き出してしまった。


 この話を読んでいると、この南太平洋の孤島は宇宙船地球号に感じ、少年たちはわたしたち今この地球に感じる人に思えのはわたしだけだろうか。
 この『蠅の王』は単なる冒険ものではなく、人間の見たくない部分が多く書かれている。仲間同士が協力し合う場面より、むしろ逆に傷つけあったりする、残酷な場面が多しかしも、その人間の心の闇の部分を描写している。人間の集団生活は、時として凶暴なものへ変化していく恐怖をも書いている。

 いまの宇宙船地球号はどうか。
 地球の温暖化は人間が出す温室効果ガスによるものだと否定できないと断定された。新自由主義資本主義経済により、グローバルノウスの先進国といわれる北の国は、グローバルサウスの経済活動を始めるのが遅れた南の国の、資源や労働力を搾取し、北の国はより豊かになろうとしている。
 蠅の王の孤島に遭難した少年は、大人からの干渉から解放され、自由奔放に生活をしようとするが、リーダーのラルフは、遭難した同胞の少年の自由奔放さに統制がとれずになる。みなが互いのことを思いやることができなくなって行く。
どんどん協力をすることができなくなり自分勝手になっていたの読むのと、現在の新真自由主義経済で富を追い続ける地球を感じさせる。経済成長を追求する人。他人のことより自分の楽しみのみを優先して追求する人。強欲に足を知らない生活を追い求めることに疑問を持つ人。南北問題を関係ないと便利な生活に甘んじるひと、米中対立では互いに相手が悪いと主張する。それらは、この南海の孤島に遭難した、少年たちと重なってしまう。

 ゴールディングは「最初は汚れのない状態でも、人間の本質が、それを汚すように強いるのです」と語り、「ミツバチが蜂蜜を作るように、人間は悪を生み出す」と述べている。人間は本来性善説の意生物だがその状況によりいつでも悪魔になりうるのだということを、『蠅の王』で言いたかったのだろう。
 人間は本質的に利己的で攻撃的で、すぐパニックを起こす、という考えがある。それを、オランダ生まれの生物学者フランス・ドゥ・ヴァールは「人間の道徳性は、薄いベニヤ板のようなものであり、少々の衝撃で容易に破れる」と、人間の理性や善意はそれほど強いものでない言っている。

 さて、30年後に宇宙人が訪れたとしたらその時の状況を見てなんと地球人に質問するだろうか。いや今、宇宙人が地球の訪れ地球の現状を見たらなんというだろうか。30年後の2050年頃はどんな世界だろうか。

 SF映画スタートレック『ファーストコンタクト』では、第三次世界大戦で6億人の犠牲者を出し2053年頃に停戦したが、荒廃し無政府状態になっていた。その地球で2063年に人類で初めてゼフラム・コクレーンが、亜空間光速の有人ワープドライブ実験に成功、近くを通りかかったバルカン星人が見つけ、地球人が高い知性と技術があると知り、ファーストコンタクトをとるためやってきた。バルカン星人との遭遇により、宇宙に他の生命体がいることを知った人類は争いをやめ、地球人としての一体感を持つようになる。その後50年をかけて地球上から戦争や貧困、疫病を撲滅することになる。
関連記事
■竹林乃方丈庵の主から■

・いつも拙文を読んでいただきありがとうござます。
・見聞きしたことを独断と偏見で、気ままに綴ったものです。
・自分のために無責任に書き留めたものですから、読み終わったら捨て下さい。

記事の整理棚
禅 (3)
最新の30の記事
月別の過去の記事
11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   10   09   08   07   06   05   04   03   02   01   12   11   09   08  
div>
単語による記事検索
竹林の過去の戯言のタイトル

過去の記事タイトルを100件づつ表示します

記事へのコメント
  • スタートレック ヴォイジャー 「虐殺の記憶」
    HiriChau Hyour (10/10)
    ありがとうございました。この話を探していました。
    voyagerには、もう一つ、ドクターが500年後によみがえって種族間の対立に終止符を打つ話もありました。
    虐殺や悲劇の歴
  • SDGsと足るを知る 1
    竹林泉水 (10/02)
    物欲からの解放が人間の永遠の課題です。
    仏教は慾へ貪り戒めの追求です。また。文明化する前の先住民族の教えは、自然に抗うな受け入れよです。
    物欲文明の汚染された心を
  • 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
    竹林泉水 (09/28)
    >自国内の少数民族をいじめていました
    そうですね、どこの国にも大なり小なりるようで、理想の楽園の国などはどこにもないし、残念ながら未来永劫実現しないと思います
  • これから求められるものは
    竹林泉水 (09/22)
    おっしゃるとおりですね。資本主義<-->共産主義、全体主義<-->民主主義≒or≠自由主義になるでしょうか。
    では、新自由主義は資本主義経済の規制緩和の経済活動
  • これから求められるものは
    風と雲 (09/21)
    時々疑問に思うのですが、‘自由主義‘の対比は共産主義ではなく、人権や社会活動を規制拘束する独裁とか全体主義、国家主義ではないのでしょうか。‘共産主義‘の対比は資本主
  • オリンピック・パラリンピックの総括を
    竹林泉水 (09/15)
    なるほど、丁寧な説明ありがとうございます。


    非公開コメントは、非公開コメントですなどと表示されるのは、いかがかと思います。

    非公開コメントの表示 非公開コメント
  • オリンピック・パラリンピックの総括を
    竹林泉水 (09/15)
    コメントありがとうございます。

    オリンピックムラに群がる強欲な人は、儲けるだけ儲けて勝ち逃げる。
    庶民はそのツケを払わさせられるのか、たまりませんね。

    コロナで
  • オリンピック・パラリンピックの総括を
    らいとNGC7000 (09/15)
    おはようございます。
    大増税時代が来るのではないでしょうかね。
    政府は何を言っても耳を貸さなかったし、諦めの気持です。

    フェンシングの太田に滝川クリステル。
    招致
  • 臨時国会の開催を
    竹林泉水 (09/05)
    国会議員を堕落させるのは、国民の国会議員に対する監視の目が低いからでしょう。しかし、国民の目を曇らしてしまうのは、メディアの働きが左右する。
    今の政権はテレビや
  • 記事へのトラックバック
    ブロとも一覧

    うたのすけ

    山下道場

    荒野鷹虎

    海空居士

    紀瀬美香

    marihime

    お父さんの旅

    キラベル

    silver camellia

    kbrkのつぶやき

    魚京童!

    俊樹

    アジシオ次郎

    ほんわか?絵日記

    吾輩と旅と副業

    Chronos Moon

    ざっくり読書感想文

    Taiwa Sato

    びとら

    Resale Japan

    QWERT 5w1h

    (o ̄∇ ̄o)♪

    HIROGACHAN+

    しんのすけたろ

    勝ち組の日経225

    ハセッチブログ

    五月雨 時雨

    諭吉

    さくらさくら1

    不思議な不正義2
    ブロとも 申請フォーム

    竹林乃方丈庵のブロとも申請はこちらからです。

    Webページへのリンク
    Powered By FC2ブログ




    更新履歴
    ご訪問ありがとうございます
    竹林泉水のTwitter
    ■□FC2のブログ□■
    _/_/_/竹林乃方丈庵を_/_/_/
    _/_/_/ リンクに追加 _/_/_/
    □■□■徒然諸諸■□■□ □■□■心の時代■□■□ □■□■息身心/健康■□■□ ----- □■□■厚生福祉■□■□ □■□■その他■□■□
    □■FC2以外のブログ■□
    諸諸 徒然 「身・息・心」 こころの時代
    RSSリンクの表示
    QRコード
    何の日